物質のプレーン02

 キャンプに到着して、即時解散。直ぐに自由行動になったものの、ナマエは特にやることが無い。
 ぼんやりと海を眺めていれば、同じく特にやることが無かったらしいカフェオレが近寄ってくる。海風で錆びないのだろうか?

「ウミノミズハ ナゼショッパイカ ワカルカ?」

「それは…」

 ”海水は塩分濃度が高く、3.5%ほどは塩化ナトリウムで構成されているから“

 ”何故ナトリウムが溶けているかと言えば、元々海は酸性であり、蒸発し雨になった酸性雨が塩を含む岩盤を海に溶かしたから“

 そう答えようとして、ナマエは思い留まった。以前にも、そんな会話をした記憶があったからだ。

「ねえ。海がどうして溢れないのか、知ってる?」

「貯蔵量の限界よりも蒸発する水の方が多いから」

「夢が無いなあ」

「夢も何も…そこにあるのは事実だけだ。正しい答えがあるのに、それ以外の理由を探してどうする」

「知ってる?世界は見る人のイメージによって、変わるんだ。
僕が“海は常に誰かが飲んでいるから溢れない”って言えば、僕の中ではそうなるんだよ」

「ハァ?」

「水の魔法は獣属性に弱いだろ?あれは獣が水を飲み干してしまうからなんだ。
海にも沢山の海獣が居て、海が溢れないように飲んでいるのさ」

「屁理屈だな。夢見がちと言い換えてもいい」

「そうかな?でも、キミは理屈で考え過ぎるから…困ったら、見方を変えてごらんよ。
ジョーシキなんかに囚われないでさ、キミが思ったままにしたら良いんだ。僕はそれを、ずっと応援してるから」

 ナマエは答えあぐねて、ミョウジを見た。ミョウジは眉間に皺を寄せて悩んだ後、首を振る。
 カフェオレはそれを見て、可笑しそうにランプを点灯させた。海に陽射しの赤さと光の赤さが乱反射する。目に少し滲みた。

「ショッパクナカッタラ ミンナガノンデ ナクナルダロ?」

「うん?」

「ウミガ ナクナルト コマルダロ?」

「うん」

「ダカラ カミサマガ ウミヲ ショッパクシタンダ」

「うーん…」

「ナットクイカネーッテ カオダナ。モットユメヲ ミヨウゼ。
アンタニ ヒツヨウナノハ アソビゴコロダナ。カタノチカラ ヌイタラドウダ」

 クラスメイトの中だと付き合いの長いカフェオレは、ナマエのことを案じているようだった。
 彼は学校に通うようになったタイミングこそ遅いものの、グラン・ドラジェに買われたのはまあまあ前の話だ。その頃から面識のあるナマエは、それなりの交流関係を持っている。

 そう言われても、カフェオレの言うところの意味は分からない。
 ナマエは気楽に過ごして居るし、それなりに冗談を言えるように勉強してきた。彼が気を使う必要は無い。

 どう返すか悩んでいれば、服の端を引かれる。見れば、ミョウジが少し離れたところのセサミとカシスを指差していた。

「ミョウジ、タンケンニ イクンダト。ナマエサン、サソワレテルンダゼ」

 聞けば、海賊の宝を探しに行くらしい。ヴァレンシア海岸は曰く付きの海岸であり、それは不定期に事件が起きるからというだけでない。
 元々、結構前に海賊のベスプッチが此処で陰惨な事件を起こしているのだ。

 海の王者だなんて名乗っては居たが、彼は一端の音の魔法使いである。魔法だけで言えば、ナマエの方がよっぽど上手い。
 あれだけ世間を騒がせたものの、ベスプッチは結局捕まっておらず、処刑もされていない。どーどーに変えられたとかなんとか言われているが、ベスプッチが呑気にトリ人生を送ってる最中、関係者各位が怨霊になったとすれば迷惑な話である。

 誘われては居るが、進んで行きたい場所でも無い。加えて言えば、ナマエは後でペシュが怒りそうなことはしたくなかった。

「ペシュが行くなら参加するよ」

 ミョウジは頷く。そしてペシュの居る林へ戻ろうとしたが、今度はカフェオレがミョウジに声を掛けた。

「オレモ ツイテイクゼ。イイダロ?」

 ナマエとカフェオレを交互に見て、ミョウジは悩んだ顔をする。指を五本折って、少し困った様子だった。

 どうやら最初から誘いたいクラスメイトが決まっていて、その一枠はカフェオレではなくナマエだったようだ。
 しかし、ナマエは“ペシュが居れば”と条件を出し、カフェオレはノリノリでついて行こうとしている。計画が破綻したのだろう。

「連れて行ってあげたら?
わたしを連れて行こうって言うのは…セサミとか?代わりにカフェオレあげるって伝えておいてよ」

「オイオイ、コネコチャン。オレハ モノジャネエゾ」

 ミョウジはビックリした顔で頷く。あんまりにも目が口程に語るので、ハッキリ言われずとも分かった。
 聞けば「ナマエも連れて行こうぜ!ミョウジは知らねーかもだけど、アイツ、けっこー話が分かるやつなんだぜ!」とのこと。カフェオレがそれに同意する。

「ソノトオリ。ナマエサン、トッテモ ハナシハヤイ。
カワリニ オレガ オトモニナルゼ。ヨロシク、ベイビー」

 カフェオレとミョウジを見送って、ナマエは再び海を見る。
 海はどうして溢れないのか。そんな答え、考えるまでも無いのに。

 
 ▽
 戦いに負けないということが強いということか?

 キャンプファイヤーでマドレーヌ先生が語ったのは、真理を得る為の心構えである。

 そのことに対してナマエの個人的な見解は、そうでもあるし、そうでもない、だ。
 本当の強さがあれば戦いにはならないと言うけれど、実際はそれが全てに適用されるわけではない。
 “強ければ、最低限の戦いで済む”。これがナマエの結論であり、持論だ。

 人には戦わなければならない時が必ずあるし、己の意志を通すには腕っ節も必要。あっても、ダメな時はダメ。自由とは、選択とは、ある程度の制約があるからこそ生まれるもの。人生ってそういうものだ。
 この議論はグラン・ドラジェとも何度もしているが、“正しくもあり、私にとっては間違ってもいる”とのことである。それは要するに、ナマエにとっては正解ということだ。

 ナマエは未だ、魔法の真理が見えない。どれだけ極めても関係なかった。
 きっと魔法の全ては、魔法の腕前自体とは関係の無いところにあるのだろう。

「お〜い」

 遠くから声を掛けられる。カシスだ。
 ナマエは丸太から立ち上がり、そちらの方へ歩いて行く。そこには、ミョウジとガナッシュも居た。
 珍しい取り合わせに驚けば、ガナッシュは面倒臭そうな顔をする。彼は基本的に年上の三人が苦手だ。多分、カシスもレモンもナマエも、ガナッシュを揶揄ってくる数少ない人間だからである。

「タンケンは楽しかった?」

 彼女はキャンプファイヤーの前、セサミと一緒に探検ごっこに行っていた。
 ナマエも一度誘われたのだが、メンバーにペシュが居ないので断ったのである。加えて言えば、ペシュが参加するなら着いて行くとも伝えた。
 だってバスの時刻も遅れたのに、キャンプファイヤーにも遅れてしまったら…考えるのはよそう。

 ミョウジが笑顔で頷く。
 このキャンプ場は闇のプレーンの気配が漂っているが、彼女にとっては特に問題ではないようだ。

「楽しかったぜ。宝箱があったんだけどな、まつぼっくりが入ってたんだ。傑作だよな」

「キミほんとに行ったんだ」

「おっと、オレだけじゃないぜ。レモンも居たからな」

 まつぼっくりをミョウジが見せてくれる。ミョウジは海賊のお宝を期待していたようで、ちょっと残念そうだ。

「カベルネとかも?」

「鋭いね。まあ、そんなとこ」

 こういう遊びをする印象は無かったが、カベルネを誘う口実だったのなら納得である。
 レモンを誘ったのは、流石に年長が一人でタンケンごっこに混ざるのは恥ずかしかったからだろうか?
 彼女は絶対に一旦バカにしてそうだが。なんならカシスも参加しておきながらバカにしてそうだが。

 少し気まずそうなカシスを見てミョウジが笑った。ついでに探検メンバーはカシス、カベルネ、レモン、カフェオレだったとも教えてくれる。
 ミョウジはカシスの優しさが分かっているようだった。

「おい!そんな話をしている場合じゃない!」

 タンケンごっこの話を聞かされたガナッシュが怒鳴る。どうやら、この四人を集めたのは彼だったようだ。

「イヤな気配を感じる。何かが来る。お前たちも警戒しておけ」

 能天気そうなミョウジとカシスとは対照的に、ガナッシュはキャンプ場のヤバさに気付いているらしい。
 それはナマエも同意だ。ここは何度も事故が起きている曰く付きの海岸であるし、何処から発生しているかは知らないがエニグマも湧く。
 そもそもグラン・ドラジェが此処に送り出すのも、生徒たちに戦う訓練をさせるためだ。

「こんな感じでさ。さっきもオレとミョウジに戦い方についてレクチャーしてたんだぜ。
ったく。オレさまを誰だと思ってんだよ」

「へえ。何について聞いたの?」

「戦闘のキホンだけ。オレからは能力値についてだけ説明した」

「わたしには教えてくれないんだ?」

「ナマエは聞かなくても分かるだろ」

「オレには言わねえと分からないってか?」

 ミョウジがオロオロと三人を見る。
 ガナッシュとカシスは仲が悪い訳ではないが、ガナッシュは多分ノリが軽くて食えないヤツが苦手なので、歳上の三人に対して当たりも口調も強い。二人は不良気質でスレてるのもあるだろうが。
 元々ガナッシュは穏やかな性格の坊ちゃんなので、割と常に喧嘩腰のカシス…ついでに言えばレモンともソリが合わないのだろう。ナマエも含めて三人は気が合うし。

「フォーメーションのこととかは?みんなで戦うなら、絶対に必要な情報だよね?」

「オレは必要と思ったことだけを伝えている。言いたいことがあるなら、自分で言ってくれ」

「わ〜頑固。オッサンくさいぞ〜」

「…ナマエ。オレのほうが1コ下なんだけど」

「じゃあわたしはおばあさんかな?」

 ミョウジがナマエの袖をチョイチョイと引っ張る。魔法の手帳とペンを構えて準備ばっちり。どうやら隊列について聞きたいらしい。
 ナマエはバスに乗り遅れたので、手帳を受け取っていないコトに気付いた。まあ今更どうでもいいが。

フォーメーションっていうのは、戦闘時の並び順のことだよ。
前列は攻撃を受けやすいの
だから、HPと守りが高い子は前列にすると良いかもね。
ああそれと。真ん中の列はダメージを受けやすいよ。複数攻撃出来る魔法は横一列だったり、2×2だったりするからだね」

 ミョウジがコクコクと頷く。この様子だと、知らなかったらしい。
 “カシスは意外と打たれ弱いから、後列がオススメなんだよ”とコッソリ教えれば、ミョウジはそれも魔法の手帳に記した。素直で真面目な良い子である。

「そうだ。図書館の宝箱は開けた?きっと防具が入っていたよね。
でも防具は持っているだけでは意味がないんだ。
メニューを開いて、装備しないとね。
行動順を調節するのにワザと装備しないのも有効だよ。みんなで戦うなら、速さにも気を配らないと」

「なんだよナマエ。随分しっかり教えるじゃん。オマエもなんかあるって思ってんの?」

「うん。このキャンプ場、曰く付きだから。
カシスは知ってると思うけど、毎年事故が起きてるのもホント。行方不明者が居るのもホント。
この学校大きいから、他のクラスの生徒なんか覚えてないかもしれないけれどね」

 他にも話を聞きたい相手が居るらしいミョウジは、一度頭を下げて走り去っていった。
 ナマエもカシスも解散しようとすれば、肩を掴まれる。ガナッシュだ。

「待て。此処に居ろ」

「ミョウジは行かせたのにか?」

「ミョウジは他のヤツに聞きに行く事がある様子だったからな。その点、お前たちはその辺りで駄弁っているだけだ」

「決め付けだよガナッシュ。まあ、そうなんだけどさ」

 仕方無くその場に座れば、立ったままのガナッシュがナマエを見下ろす。随分と肩に力が入っている。
 此処で何かが起きるのは、彼の中で確定なのだろう。ナマエもそれは同意見だ。

「おい、ナマエ…お前、何か知ってるだろ。この際、姉さんのことは良い。
 だが、クラスのヤツらまで姉さんのようになったら…取り返しが付かない」

「そうだね。だから、先生やわたしが付いてきてる」

「…?何を知っているのか分からないが、早く話して────」

 キャンプファイヤーの方から叫び声が聞こえる。夜はまだ始まったばかりだ。

 

 ▽
 海を埋め尽くすのは、エニグマの群れ。

 それらは全て弱い個体だったけれど、だからと言って生徒が勝てる道理も無い。
 遠くでペシュの悲鳴が聞こえて、次いでピスタチオの声も聞こえて消えた。

 初手で数人持って行かれた手前、ナマエが今頃走った所で意味の無いことだろう。
 すべきは敵の殲滅でなく、状況の把握だと踏んだ。

「ナマエ!オレの後ろに下がれ!」

 ガナッシュはナマエを手で制し、後ろに下げた。カシスは「ヒュー!お優しいこって!」と冷やかしをしたが、それ以上の無駄口は叩かず前に出る。
 彼らは随分、ナマエに甘いらしい。自分には守られる価値など無いと言うのに。

 ナマエは素直に一歩下がって様子を見た。
 マドレーヌを探しに行きたい所であったが、この場にはガナッシュとカシスが居る。オマケに言うなら、ガナッシュは闇の魔法使いだ。孤立させては、囮にしたも同義だろう。

 奥の林からはミョウジが走って来て居たので、ナマエは道を開く。
 ミョウジは困った顔でナマエを見る。加勢するかしまいか、悩んでいるようだった。

 確かにカシスとガナッシュは依然として魔法を唱えており、話を聞いている場合でも無いだろう。

「此処は抑えるからいいよ。もし、もう一度合流出来たら。その時は、状況を教えてくれないかな?」

 ミョウジは頷いて、走って行く。
 それを見送ったナマエは、ポケットから出したボムをエニグマにぶつけた。鈍い音を立ててエニグマが沈む。

 無限にエニグマは湧くが、それが一旦の切れ目だろう。三人で一ヶ所に固まれば、少しだけ余裕が生まれた。

「グラン・ドラジェは何を考えているんだ。オレたちとエニグマを戦わせて、兵士の補充がしたいのか?」

 ガナッシュは独り言のように呟いたが、その相手は明確だ。
 ナマエは特に隠す理由も無いので、正直に答える。

「未熟な兵士を戦争に出してなんになるの?それに、寝返ったら面倒臭いよ。魔法が使えるんだから」

「それは…」

「戦わせるだけなら、座学なんて要らないよね。実技だけを教えたら良い。
でも、そうしたらただの強い兵士になっちゃう。それじゃあダメ。だって強い魔法使いを作りたいんだから」

「それは何が違うんだ」

「さあ。わたしはそうじゃないから、よく分かんないや」

 ナマエの返答に、ガナッシュは少し哀しい顔をした気がする。
 彼の心の内はわからない。きっとナマエを恨んでいるのに、酷く同情的な────憐れと言った目を向けるのだから。

「おいおい!呑気に喋ってんのは良いけどよ、ジリ貧だぜ!
んなどうしようもねえこと考えるより、誰がミョウジを追うか決めた方が良いんじゃねえの!」

 カシスは呆れて、少し怒りながら言った。荒い性格と口調をしているが、その本意は怒りでなく心配であろう。
 ナマエは少し思案して「ガナッシュ」と声を掛ける。

「いや、ナマエだろう。オレとカシスで、此処は食い止めた方が…」

「いい。ガナッシュが行くべきだよ」

「はあ?なんでだ。キミはいつも、そうやって…」

「うっせえな!おまえのがガキなんだから、素直に行けって!」

 そういうことだ。
 ナマエは、若者を先に行かせるべきと思っている。なんだったらカシスも行っていいが、彼はそれを承諾しないだろう。

 ナマエは前列に躍り出る。
 手をかざして、オーバーキルの魔法をエニグマに叩き付けた。海岸に不釣り合いな、四角い闇が彼らの肉体をめちゃくちゃにする。

「闇の魔法使いが欲しいなら、力づくで手に入れてごらんよ」

  先程からガナッシュばかりを見ていたエニグマが、ナマエをギラつく瞳で捉えた。
 囲まれ始めたナマエに、ガナッシュは狼狽える。

「ナマエ!」

「ガナッシュ!わかんだろ、囮になってんだっつうの!」

 苦々しい表情のガナッシュが「…ナマエ、気を付けろよ」と走って行く。カシスは言われない辺り、彼はしぶといと何らかの信頼があるのかもしれない。
 ナマエからすれば、皆吹いたら消えそうな魔法使いなのだが。

 その後ろ姿が見えなくなった頃、カシスは口を開いた。

「おまえ、こうなることを知ってただろ。あのなあ、そういうのは早く言えっての」

「襲われるのは知ってたけど、拐われるのは聞いていない。
正直、驚いてるよ。こんなにおじいさんが焦ってたんだってね」

 それは本心だった。グラン・ドラジェが子供達を集めるのは、来るべき決戦で勝利を収めるためだ。

 尤も、その“勝利”というのは、ナマエが勝手に仮定していることだが。彼が言うには、血で血を洗った時点で勝敗などは無く、ただ暴力を持って制したというだけに過ぎないのだと。

 だがその勝利を成すために、このような暴挙────集めた選りすぐりの魔法使い達をエニグマに差し出すなどという、イカれた方法まで用いるとは。
 訳がわからないという点で言えば、クラスメイトとナマエは同意見だった。

「ふうん。じゃあ、今迄もそうだったっつうのか?」

「それは違う。拐われたなら、もっと大事になるだろう。そうならないのは、キャンプから帰って来た子供たちが自らの意志で失踪するからだ」

「…自分から学校辞めるっていうのか?
言っちゃあなんだが、星有数の進学校だぜ。ウィルオウィスプは」

 カシスらしくない発言だったが、そのリアリストさが一周回って彼らしいとも言える。
 国どころか星有数の学校であるウィルオウィスプは、卒業するだけで輝かしい未来の足掛かりとなるのだ。官僚、将軍、教師。どんな職業も、名声も、思いのまま。

 それを途中で辞めるというのは、単純な損得勘定で非常に惜しいものである。

「そうだ。エニグマと接触した魔法使いは自棄になる。目先の欲求を制せず、力に溺れてしまう」

 しかし、彼らはそうする。それは、第三者の意思が介入するからだ。

「グラン・ドラジェの思惑は分からない。だが、それを実行すると明言したならば、マドレーヌは必ず批難をする筈。
わたしはグラン・ドラジェに言われれば、そうするだろう。だが彼女は、そんな真似を許しはしない」

 カシスはじっとりとナマエを見た。なんだと言い返そうとして、口調の乱れに気が付く。
 咳払いをひとつして、話を切り返す。

「…わたしも先生も、こんなのはビックリ。予想外だったって話だよ」

「ああそう。んじゃまあ、そいつを信じとくよ」

「いいの?」

「いいよ。おまえ、正直者じゃん」

 わたしは首を傾げる。
 正直者。それは、嘘を吐かず悪を成さない、誠実な人間の事だろう。自分などに、善人の定規が適用されるわけがない。
 そう言えば、カシスは笑った。

「黙ってりゃいいのに、いつも余計なこと言って貧乏くじ引いてる」

 彼は口角を吊り上げた。微笑ましいような、揶揄うような視線である。

「ガナッシュのことだってそうだ。しらばっくれてればいいのによ」

「それは善くないことだから。シャルドネが、ウソを吐くよりは正直に言った方がいいって常日頃…」

「そーゆーとこだぜ!そーゆーとこ!」

 カシスは呆れた顔をする。美徳とは言ったが、度が過ぎるとウザいということなのだろうか。

 彼の内心は“いつまでも故人を生きてる風に言うの、精神衛生に良くないぜ”の一点であったが、それがナマエに伝わる事は無い。
 カシスがそう思うのは、優しさとエゴが半分ずつだったからである。

「まあ、オレらも駄弁ってる場合じゃねえよな。これ、どうすんだよ」

「カシス先行きなよ。危ないよ、わたしと居ると」

「そう言われて、はいそーですか…ってなると思うわけ?」

 魔法を唱える手を止めたカシスに、手持ちのボムが尽きそうなナマエ。
 結局ガナッシュは帰って来ないし、ミョウジとマドレーヌの姿も見えない。このまま消耗戦を行なっても良かったが、防戦するだけというのも芸が無い。

 ナマエはカシスの手を引いた。
 後ろ手でなけなしのボムを投げ付けて、魔法を唱える分の労力を思考に回す。

「積極的なことで。こーいう場面じゃなければ、メシでもどうって聞いてんだけどなあ」

「お腹空いてるの?でもごめん、今は食べてる場合じゃないよ」

「はは、アンタまじで冗談通じねえよな!」

 何がおかしいのか、カシスはケラケラ笑っている。よく分からないが、愉快そうで何よりだった。

 ナマエはそのまま手を引いて、洞窟を目指す。
 すれ違うエニグマをボムで黙らせ、軽口を叩く割には限界が近かったらしいカシスを引っ張って、海賊の眠る陰惨な土地に捩じ込んだ。

「こんな所で何するって言うんだよ?まさか、逃げ隠れるとかじゃねえよな」

「違うよ。わたしの目的は────」

「あっ!ナマエ!カシス!おまえら襲われてねえの!?」

 高い声が響いた。前方を見れば、セサミがこちらに指差している。
 そのまま彼はズンズンと歩み寄ってきたので、屈んで目線を合わせる。そして「エニグマか!?」とナマエの頬をつねった。カシスが呆れるように溜息を吐く。

「おいセサミ。此処でなにしてんだよ」

「なにって、隠れてんだよ!分かるだろ、あそこのウズマキからエニグマ出て来んの!誰かが見てないといけないだろ!?」

 そうして次に指したのは、ナマエの目指していた場所だ。

「ああやっぱり。此処からか」

 ナマエは立ち上がって、渦巻きに近付いた。

 そこからは別の空間に通じるような歪みを感じる。
 実際に目にしたのは初めてであったが、話には聞いていたのだ。キャンプ場には、別プレーンに通ずる穴があると。

 片足を入れてみれば、奥には広い空間がある。ワープとして正しく機能しているようだった。

「なにしてんだよ。危ないだろ」

 セサミが訝しげに言った。しかし、ナマエは問題無かったので、もう一歩足を進める。

「わたし、ちょっと行ってくるね」

「はあ!?本気で言ってんのかよ!おいカシス、ナマエ止めろよ!こいつ、まわり見えねえんだよ!いつも!」

「セサミの言うとおりだぜ。ナマエ、なにしてんだよ。行くにしても、説明してけって」

「いかせんなって!だめだろ!絶対あぶないだろ!」

 確かに一理ある。
 急いでいたので自己完結していたが、彼らには一報すべきだろう。

「ここからエニグマが出てるんだよね」

「そう言ってるだろ!」

「じゃあ、あっちに行って止めてきたらいいよね」

 そうはならねえだろ。
 セサミの目はそう物語っていたが、ナマエには通じなかった。困ったように彼は年長者を見たが、カシスは「ふーん」と一考し、「まあ、道理だよな」と納得していた為、セサミは愕然とする。

「わっかんねえヤツ。もう、好きにしたらいいぜ。オレは行かないけどな」

 拗ねたような口振りで、セサミは岩陰に帰って行った。
 残ったカシスを見れば「んじゃまあ…どっちが先行く?」と乗り気である。

 じゃあ、わたし。
 思い切ってジャンプをすれば、船酔いのような感覚に襲われる。なるほど、時空ワープは気持ちが悪い。