物質のプレーン01

「愛ってなんだと思う?」

 クラスメイトであるナマエの問いに、カシスは首を傾げた。

 ナマエ闇の魔法を使う女の子だが、闇の魔法を扱う割には明るく、微笑みの絶えない少女だ。
 いつも薄っすらと笑みを浮かべていて、その表情を崩すことは滅多に…というか、無い。カシスから見たナマエは、常に笑顔の少女である。

「人を好きなら愛?好きなだけじゃ愛ではない?愛しているってどういうこと?」

 常識的で、いつでも穏やか。擦れているという事はなく、ただ達観している。年齢不詳だが、恐らくレモンやカシスと同じくらい。
 自ら何かを先導する事はなく、いつだって人の流れに身を任せるような。彼女は、良く言えば協調性があり、悪く言えば自主性のない少女だった。
 
 いつだってそこに居るだけの、毒にも薬にもならないような人間なのである。その彼女が、このような質問を投げ掛ける事自体が珍しい。
 カシスは内心驚きながら、ナマエの真意を探った。

「急に何だよ。レポートでも書いてんの?」

 意図が読めず、理由を尋ねるカシスだったが「ん〜」とナマエは煮え切らない返答をする。

「個人的な人生の命題?」

「なんだそれ。人に聞いて納得出来るモンじゃないぜ、そーいうの」

 明るいが、変なヤツである。そんな哲学的な話を急にするのもそうだが、よりにもよってカシスに振ってくると来た。
 そういうのは、ペシュとか、アランシアとか、ミョウジだとか、その辺の博愛主義のオンナのコたちに聞くべきであって、決してカシスに聞いて得られるものではない…と彼は思う。

 渋い気持ちで「他当たってくれよ」と流せば、視線の先にウズウズとしているピンクの────ペシュが居るのが目に入る。
 どうやら先程の話を聞いていたらしい。ナマエに愛を伝えたくて仕方が無いという顔をしていた。

「あー、ペシュ。今の聞いてたか?」

「勿論ですの!いえ、盗み聞きではありませんのよ。聞こえましたの」

「あーはいはい、どっちでも良いから」

 ペシュが食い気味に答える。
 やはりカシスが思った通りだった。彼女は愛の伝道師で、今その対象はナマエである。

「愛はラブですの!ハートがあったかくて、フワフワした気持ちになりますの!」

「温かい気持ちにならないヤツは、ハートが無いってこと?それとも、愛が無い?」

 いきなり人の心が無さそうな疑問が飛び出して来た。オイオイとカシスは内心思うが、この程度でペシュは屈しない。

「ハートは誰にでもありますの。温かい気持ちにならないのは、まだ愛を知らないだけですの」

「ハートが壊れちゃった人は?」

「ハートは壊れても、いつか誰かの手で癒されますの。愛を知っている人は、愛をもって人を助けますのよ」

 ナマエは眉根に皺を寄せた。怪訝そうに少女を見下ろすその目は、ちょっとおっかなくて怖いとペシュは少し思っている。こういう表情や仕草は、けっこう闇の魔法使いっぽいとも。
 ふとした瞬間、ナマエは表情に影が落ちるのだが、そういう時は確かに闇の精霊に愛されてそうな雰囲気があるような気がしないでも無い。

「じゃあどうすれば愛を知れる?」

「愛やハートは言葉で語るものではなくて、心で感じるものだと思いますの。
ナマエちゃんが疑問に思っている間は、知ることが難しいものだと思いますの」

「心が無い人は、愛もハートも持ってないの?」

「それは…」

 ペシュが言葉に詰まった。
 心無い者には愛もハートも無いのか────それは時と場合によりそういうこともあるかもしれない、と彼女も思ったからである。

「あんま困らせてやるなって。そんなことどうだって良いだろ」

 彼女の説く“愛”の定義に揺らぎが見えたため、カシスは助け舟を出す。
 確かにナマエの人生の命題とやらが面倒でペシュに投げたが、論破されるまで質問攻めにされるのは良心が咎めた。

「どうでも良くないよ。わたしにとっては凄く大切。カシスは愛が分かってるの?」

「そうだなぁ。デートしたら分かるかも知れないぜ」

「そっか。じゃあ今度ブルーベリーでも誘おうかな。ペシュもどう?」

「レモンちゃんも誘って、二人にも愛を聞いてみたらいいですの!愛はあたしの一つだけじゃなくて、色んな人がそれぞれの愛を持っていますの」

「それはもうデートじゃねえんだよなぁ」

 こんな調子では、ナマエが愛を知るのは当分先だろう。
 ペシュもカシスもそう思ったが、黙って溜息を吐くに留まった。そしてなんとなくで話が流れようとした矢先「それはさ〜」と、歌うように別のやつが突っ込んでくる。

「愛っていうのはさ〜こう〜大らかで、包容力があって〜、なんていうか、自由な物なんだよ」

 盗み聞きをしていたのはペシュだけでなく、シードルもだったらしい。
 カシスは渋い顔をして「うわめんどくせ」と呟いた。二人は悪友的な友好関係を築いては居るが、基本的に感性が全く合わないので妥当な反応である。

「自由?」

「そうさ〜愛があるから許し、愛があるから受け入れるんだ〜、大人の手でも職人の手でも天使の手でも、ボクたちみたいな子供の手でも、同じように出来るのさ」

「愛があるから許せる…?愛が無ければ許さず、許さなかったら愛は無いってこと…?」

「そうとも言えるし、そうとは言えないってカンジ〜?」

「出たよ、テキトーなはぐらかし。ナマエも真面目に受け取るなよ。なんの参考にもならねえと思うぜ」

 真剣に考え込むナマエに、カシスが呆れて苦言を溢す。シードルの価値観と表現は大体抽象的でふわふわしてるし、深いようで浅いのだ。
 ペシュも「もっと真面目に答えるべきですの!」と怒っている。彼女は少々生真面目過ぎるが。

「痴情のもつれで刺したとして、相手が許せなくて刺したら愛は無いの?愛してるけど刺したなら、それは愛なの?」

「命を奪うことは、愛じゃないと思いますの… 例え身を守る為だったとしても。命を奪うことは愛の無いコトだと思いますの。
でも、愛は人それぞれですの。あたしはそう思ってるけど、その人が愛だと感じればそれは愛ですの」

「…難しいなあ」

「というか、早く行きますの!バスはもう出発しますのよ!みんな不真面目ですの!」

 本来の目的を思い出したらしいペシュが憤慨した。
 先程までノリノリで愛について語っていたのに、切り替えの早い女の子である。

「ゼン部屋にキルシュたちが居るんじゃないの?」

「そっちはミョウジちゃんが行ってくれましたの」

 早く早くと背中を押される。たしかに、急ぐべきだろう。
 ナマエは早足で音楽室を出た。単に、これ以上ペシュに怒られたくなかったとも言う。
 

 ▽
「ナマエ…」

 みんながさっさとバスに向かう中、チンタラ歩いて来たナマエは、珍しい人物に呼び止められた。

「貴方もガナッシュのお姉さんの…三年前のキャンプで何があったか、知るために行くの?」

 はしゃぐクラスメイト達とは対照的に、浮かれていないどころか怯えているような雰囲気すらあるオリーブがナマエに問い掛ける。
 三年前のキャンプは、恐ろしいことが起きた年だ。クラスメイトの一人がエニグマに取り憑かれ、結果的に二百人以上の魔法使いと、ナマエの隣席だった少年を────シャルドネを、殺した。

 だが、ナマエはそれをもう知っていたし、それ自体はどうでもいいことだった。

「違うよ」

「…そう」

 ナマエは彼女に話し掛けられたことを疑問に感じた。怯えられている事自体はいつものことだから、関係が無い。
 オリーブは心を読むから、倫理観の薄いナマエのことを苦手だと思っている。あんまり脅かすなと、ガナッシュから直接聞いた話であった。
 脅かすも何も、ナマエは素なのだが!

 もっと、こう、彼────シャルドネみたいに、ナマエもなれたら良かったのに。
 そう考えていたナマエに、オリーブは慌てたような顔でフォローを入れた。

「…分かってるわ。ナマエは、私を怖がらせたいわけじゃないって…」

「そう?無理しなくていいよ。怖いものは怖いでしょ」

「…」

 オリーブは黙ってしまった。
 困ったナマエは、話を無理やり元に戻す。

「キャンプに来たのは、三年間ずっと欠席してるからだよ。いい加減いかなきゃ、また落第して留年しちゃうから」

 暗にヴァニラのことは調べていないと伝えたが、オリーブは困った顔をする。
 ナマエはウソを吐いては居ないが、目的については触れていないからだ。

「じゃあ…カベルネの兄さんのことか?」

 横から聞いて来たのはガナッシュだ。この二人は大体一緒に居る気がするので、相当気が合うのだろう。
 会話が好きじゃないガナッシュと、話さずとも心を読むオリーブ。羨ましいとは思わないが、楽そうで良いなと思っていると、心を読んだらしいオリーブが「ちゃんと答えて…」と苦言を溢した。

 ナマエは特に隠す理由も無いので、正直に頷く。

 しかし、ガナッシュの続きを促すような視線にナマエは困惑する。
 確かにシャルドネについて知りたいが、その感情や関係を説明出来るだけの自己理解がナマエには無かった。自分が何故そうしたいのか、分からないのである。

 それに、話して良いのだろうかという懸念もあった。
 ガナッシュはヴァニラの血縁だが、ナマエはシャルドネと深い関係では無い。たまたま居合わせただけの第三者が、彼の死について語って良いものだろうか。
 
 ガナッシュは以前にもヴァニラについて尋ねてきたし、一年前に本物の戦争があった事も薄々気付いている。誰が首謀者だったかも。
 だが、それは話すべきことではない、とナマエは思う。会えない相手を追い掛けるのは、一人で十分だ。

 しかし口をつぐめば、ナマエに対して良い印象の無いオリーブやガナッシュは益々ナマエを警戒するだろう。
 友達を沢山作りなさいとグラン・ドラジェに言われているので、あまり嫌われると困ると彼女は思った。

「ナマエは兄キのクラスメイトだったんだヌ〜」

 そこに助け舟を出したのはカベルネである。
 確かにナマエはシャルドネとクラスメイトだった。ヴァニラが退学して、シャルドネが卒業するまで。

「一年前のあの日、ナマエは兄キを助けにガルバンゾに向かって大怪我を負ったヌ〜。
最期の願いをオレに伝えたのも、ナマエなんだヌ〜…」

「あの日、あの場所に居たのか?」

 ガナッシュがナマエを睨み付けた。以前、彼が訪ねてきた時にはぐらかしていたからだ。
 彼自身はオリーブに止められ、カシュー橋へ向かえなかったということも聞いている。行っていれば、多分ガナッシュはここに居なかったことだろう。

「ガナッシュ。よくないよ…ナマエは意地悪で黙ってるわけじゃないわ…」

「いいよ、オリーブ。責められるのは仕方ないことだよ。わたしは知っているんだから。ガナッシュが聞きたいこと、多分ぜんぶ」

「…話す気は無いんだな」

「話せないよ。オリーブに読ませる気もないし、そんなことはさせないで」

 ガナッシュは納得がいかないようで、相変わらずナマエを睨んでいる。ヴァニラにはもうそんなココロは無いと知っているだろうと暗に責められているような気さえする。
 それを見てカベルネもオリーブも不安そうにしているし、その原因はナマエにあるだろう。

「“世界がキミの敵になるなら、世界なんかブチ壊してやる”」

「?」

「シャルドネがキミの姉さんに言った言葉だよ」

 カベルネが息を呑んだ。その言葉が胸に引っ掛かっているのは、ナマエだけではない。

「わたしはそれが分からないから…まずは恋人募集中って感じ?
あとね、キャンプに行ったら、きっとキズナが深まるよ。そうしたら分かるかも。
どう。ガナッシュ、オリーブ。わたしの目的は理解出来た?」

 ガナッシュは相変わらず不快そうにナマエを見ているし、オリーブは悲しそうにガナッシュを見ている。
 ナマエは彼らの心情がよく分からなくて、苦笑するしかない。

「もう、兄キのことは忘れるべきだヌ〜。カシスも言ってたヌ〜、辛いことを思い出してばかりじゃ、良いことなんて無いんだヌ〜。
それに、そんな自分を傷付けるようなことをしたって兄キは喜ばないヌ〜…」

「傷はもう治ったから、辛くなんて無いよ」

 今度はカベルネも黙ってしまった。ナマエは、それがどうしてかわからない。
 

 ▽
 どうやらバスは四人待ちだったらしく、ナマエたちが乗り込むとすぐに発車した。

 魔バスの運転手であるバルサミコが思い切り正門を吹っ飛ばして始まるのがキャンプのしきたり…というか、開始の合図である。
 きっと七不思議の“何者かに破壊される正門”を知っていたであろうカシスが微妙な顔をしていた。そういうのを見て内心笑うのが、ナマエの楽しみだったりする。

「うう…こんなことしてる場合じゃないっぴ…」

 体が小さいからという理由で補助席に座らせられたピスタチオが呻く。
 あんなクソ座席に振られたので酔ったのかと思ったが、普通に落第を心配して呻いているらしい。

 ナマエはこういうの向いてないんだよなあ…という自覚があるので、励ますのが億劫だった。

 だがピスタチオの両隣はガナッシュとナマエ。
 その隣はオリーブとカベルネ。おしまいである。ここの席の並びだけお葬式だった。
 同じ補助席組のセサミやペシュと席が逆なら、キルシュなりカシスなりレモンなりミョウジなりが励ましてくれただろうに!

「ま、まあまあ。遊んだ分あとで頑張ればいいじゃん?」

「そもそも遊んでる場合じゃないんだっぴ!!!」

 仕方なく励ましたが、やはりナマエの雑な励ましではダメである。説得力も包容力も無い。
 なにか、なにか良い根拠は…と考え、実例があったのを思い出した。

「大丈夫。ピスタチオが苦手なのは実技でしょ?」

「ぴ…?どういうことだっぴか?」

「この学校、実技無しでも単位貰えるんだ。筆記が取れるなら落第しないよ。
隣のクラスの担任とか、魔法自体は超ヘタクソじゃん。頭良いし、精霊と交渉するのは上手いけど」

「嘘だっぴ!それならナマエはもう卒業してる筈だっぴ!実技をいつもサボってるから卒業出来てないんだっぴ!」

「それを言われると弱い」

「オイラはナマエみたいに落第したら学校に居られなくなるんだっぴ〜!」

 年下に論破されてしまったナマエは、困ってガナッシュを見た。此方に気付いたガナッシュは呆れた顔をして、そのままそっぽを向く。ひどい。
 ナマエもシクシクしながらお葬式ムードに混ざろうとしたが、肩を落とし切る前にクラスメイトの助け舟がやってくる。

「ピスタチオは知らないと思うけど…ナマエ、魔法使うの結構上手よ。筆記は怪しいけど」

「一言多いよ」

 後ろの座席から声をかけてきたのはブルーベリーだった。ピスタチオの側から身を乗り出して話を聞く。

 ブルーベリーはナマエのフォローがしたいのかトドメを刺したいのかよく分からないが、「ね」と隣のレモンにも確認を取っている。
 レモンは困った顔で「まあ、うん。そうね」とちょっとだけナマエに申し訳なさそうな顔をした。彼女も、此方の筆記は怪しいと思っているらしい。

「だって、納得出来ないんだから。仕方ないじゃん」

「どの辺りのこと?」

「光が闇に強いのは分かるよ。
 刃は音を切り裂くし、音は石を砕く、石は虫に強くて、虫が木を食い破るのも分かる」

「あー、うん。私は言いたいこと分かったよ」

 レモンが賛同する。レモンは普通に勉強が出来るが、彼女もまた属性の相性はちょっと引っ掛かる部分があるらしい。

「でしょ。木が獣に強いってなんだよ」

「それは、動物は植物が無ければ生きていけないから…そして獣は、水を飲み干してしまうから…
って、それは確かに言われてみると…そうね。そんなこと、考えても見なかった」

「でしょ。そういうものとして習っているけれど、わたしは古魔法に火が負けるのも納得してない。
 なんで風魔法に勝てるかもよくわからないまま勝ってきたし」

「私たちが知らないだけで、精霊同士の取り決めなんかも有るのかもね。キャンプから帰ったら調べてみるわ。そうしたら…ナマエにも教えてあげるね」

「ありがとう」

「オイラのお悩み相談じゃなくなってるっぴ…」

 肩を落としたピスタチオに、おやつを手渡す。「こんなので誤魔化さないで欲しいっぴ…」本当にそれはそう。
 ナマエも誤魔化すように昆布飴を口に入れれば、この世の終わりの味がする。港町のトマヤケンで作られているダークネスキャンディだ。

「…っぴ?よく考えたら、なんでナマエは魔法を使わないんだっぴ?
魔法を使うのが得意なら、授業をサボる必要なんてないっぴよ?」

「魔法が上手いだけじゃダメだなって思ってるんだよね」

 これは嘘ではないが、本当ではない。
 ナマエが魔法を避けるのは、“それだけで解決してしまう”からだ。
 ただ強いだけじゃ、世界を一つも変えられない。それはナマエの味わった、最も大きな失敗である。

「…もっと、こう…フィジカルとかも居るかなって」

 今度は明確に誤魔化した。
 苦笑すれば、言葉をそのまま受け取ったブルーベリーが大きく頷く。

「わかる。私も、やっぱりカラダを鍛えなきゃ。キャンプに行ったら、泳いで、走って、うん。頑張ろう」

「無理はしないでね。ナマエは良いけど、ブルーベリーは慣れてないんだから」

 結局ピスタチオのお悩みは解決しなかったが、みんな目標に向かって頑張ろうということで綺麗にまとまった。まとまっただろうか?
 まあなんにせよ、ナマエは励まさなくてもよくなったのでホッとする。
ナマエは自分が“足りていない”事を知覚している。それを取り繕うのは、非常に疲れることだったから。