「欲しいのに奪わないんだ?」
そんなファンキーな質問をするのは、生粋の荒くれ。アン&メアリーの、メアリーの方である。
「ボクたちに言わせてみれば、キミってすっごく不健康。
荒くれ者と気が合うっていうのに、変な生真面目さはブラックバードみたいだ」
「だって、わたくしたち。我慢なんてモノはしない主義ですのよ。
欲しければ奪えば良いし、要らなければ海に捨てたら良い。ほら、そうでしょう?」
私は元々、海賊コミュニティの面々とそれなりに仲が良い。
ウマが合う、と言えば良いのか。性根のところの野蛮さや無骨さ、倫理や道徳なんかどうでもいいという考えが、非常に彼らと合致するのである。
長可くんが居ない時に限るが、それなりにつるみ、それなりに雑談をして来た程度には面識がある。
まあ、要するに。
「マスターの競合が減るのであれば、わたくしたちは大賛成!ね、メアリー!」
「そうそう。アンの言う通りだ。あのバーサーカー、キミがブン獲っちゃえば良いよ。
マスターきっと怒らないし。マスターの競合は減るし。ボクたちは大賛成!」
私達の、ちょっとした喧嘩と言うには若干の躊躇いがある規模の内輪揉め。その内情を知っている海賊たちが、それをネタに擦ってくる程度には、仲が悪くないわけである。
そんでもって、”藤丸さんからマスター権を奪った日には私が確実に長可くんにブッ殺される“という前提を知った上で揶揄ってくるというのだから、手に負えない始末であった。
「案外と、そうでもないかもよ」
「そうですわ。案外と、そうでもないかもしれません」
二人はニコニコ笑って、二人揃って否定をする。
「ボクたちのコンビネーションは抜群! …でも、アンと全部が以心伝心ってワケじゃないよ」
「そうそう。こちらがそう思っていても、あちらもそうであるとは限りませんのよ」
私はそれに、同意をしかねる。
長可くんがそんな不忠を許す訳がないだろう。藤丸さんが居るのに寝返るとか、ナイナイ。
例え同じ陣営だと言っても、長可くんは私が魔術師らしい魔術師であるのをよく分かっている。
生き方を変えようと、結局私はどうしようもないクソ畜生なのだ。
そんなやつに鞍替えするとか、忠臣の長可くんは絶対に異を唱えるだろう。だって武士と魔術師の一番大きな違いは、忠義が無い点なのだから。
「頑なだなー。アンくらい頑固なんじゃないの?」
「あらメアリー。あなたもまあまあ、頑固ですわよ?」
そう言われても。
私が長可くんを最優先で動く一貫した考えを持ち、“長可くんが居る限りは”藤丸立香ないしはカルデアに従うという行動を取るのでブッ殺されてないだけである。
万が一、長可くんが退去する事があれば、彼は最後の一振りで私を殺すだろう。
多分、先日のように頭を割ろうとする。それしか致命傷にならないと知っているからだ。
分かっているのか分かっていないのか、それとも最初から、そんな事はどうだって良いのか。
アンとメアリーは、互いに顔を見合わせて、クスクスと笑った。一見、可憐な微笑みのようだが、その本質は無垢なものでは決してない。
私を揶揄って遊んでいる一方で、それは確かに親愛から来る忠言のように思えた。
「楽しい事をするなら、二人一緒でないと。ね、アン」
「ええ、メアリー。その通りです」
知っている。最近それ、気付いた。
笑いは、教養なのだ。日々の学習。その積み重ねが、“面白い”という、楽しさを生む。
そして知識を得ることは、不可逆でもある。
心底気の合う誰かとはしゃぐ楽しさを知ってしまったら。その友達が、唯一無二の盟友ならば。その条件を分かってしまったら。
一人で平気だった頃には、もう二度と戻れないのだ。
「うふふ。短い人生、そういう方に出会えるのは、何よりも素敵な事です。
─────少なくとも、わたくしは。過激で、苛烈で、退屈しない日々を送れましたから。
こういうのをきっと、運命とでも言うのでしょうね」
アンは微笑んで、メアリーの手を取った。そして、空いた方の手を振り被る。
二人は私の背を押した。
着地点を迷うような、蹌踉めく足取り。跳ねるように何歩か進み、惑いながら地に足を付く。宛らそれは、わたしのこれまでみたいな、拙い歩みだ。
「それさえ理解っているのでしたら、」
軽やかで自由な、無邪気な声だ。
恐る恐る振り返れば、飛び切りの悪い笑顔が私を見送る。
「キミの人生は、きっと愉快なものだろう!」
「彼の余生は、きっと愉快なものでしょう!」
▽
あの後、藤丸立香は「正式に森君との契約を譲渡するべき」と申し出た。
わたしには完全にレイシフト適性が無いわけではなかったし、特異点によっては問題なく修復の助力になれるだろう。
しかし、頷くことはしない。私の答えも、長可くん自身の答えも決まっていた。
というか。決めるまでもなく、当然のことなのだが。
「そりゃねーぜ、殿様。鞍替えとか、ありえねぇだろ。元マスターってのが後ろめてえっつうなら、改めてボコしとくか?
戦場出れねぇなら、殿様の杞憂にはなんねえよな!」
指を向けられた私を見て、藤丸さんは激しく首を振った。「やめてね」と静止をしている。
「大丈夫大丈夫。カルデアの長可くん、超丸いから。殺すまではやらないよ、多分。
きみの善性が、長可くんに影響与えてるんだろうね」
藤丸さんは“これで…?”という顔をしたが、仮に嘗てのわたしが呼び出したバーサーカーや、帝都のバーサーカーと対面したら“すっごい丸い!”と言ってくれることだろう。
正真正銘にわたしが呼んだ森長可であれば、鞍替えを提案された時点で該当者を刺殺していると思う。
しかしどんなに丸くなろうと、長可くんは森長可だ。
私と仲良かろうが、彼は殿様第一。そういう英雄だったから、私は自分のバーサーカーでなくとも好きなのである。
「私は誠心誠意、カルデアで労働をするよ。
手は一切抜かない。迷惑かけた分は、きちんと返さないと」
私はそう申し出て、藤丸さんに「いいの?」と問い掛けられる。
いいもなにも、長可くんが殿様に入れ込んでいるのだから、私も付き合うのが道理というものだろう。
それに、自分も藤丸さんのことは好きだ。私はきっと、この人のことも友達なのだと思っている。
元より、長可くんへの独占欲などはないのだ。
ただ長可くんが居て、同じ遊びが出来るだけでいい。気持ち良く笑って、楽しさを共有したいだけなのだ。
いつか別れる日が来るまで。
いつか、夢の終わりが来る時まで。
左様ならを、もう一度告げるいつかまで。
わたしは、楽しむと決めたのだ。
長可くんが居る束の間の夢を。私の人生の、たった一つの青春を。
藤丸さんは笑って「じゃあ、早く特異点を修復しないとね」なんて言った。
引っ掛かりのある言葉である。全ての特異点が修復されたら、長可くんは座に帰るだろう。今後こそ、私は未来永劫別れることになる。
それを藤丸立香が、こんな笑顔で言うようには思えない。なにか腑に落ちないが、“次のレイシフト先が決定したよ“なんてアナウンスが聞こえて、私の思考は中断される。
片手をあげて謝罪しながら、慌てて走っていく背中を見つめた。
次は日本の何処からしく、私は隣の大男に軽口を叩く。
「レイシフト先が岐阜だったらさ。岐阜城の天守下に布団敷くから、ちょっと投げてみてよ」
「ウヒャハハハハ!良いけどよ!ありゃ仙千代がガキだったから怪我しなかっただけだぜ!
あんたがやったら、流石に痛えんじゃねえの!」
▽
当然の如く、レイシフト先は岐阜ではない。
人理の歴史は長い。これだけの期間が存在して、ピンポイントに“鎌倉時代以降”かつ“美濃国”など、中々引けるモノではない。
これは長い目で見て、いつか達成したいタスクである。
私は“今日も頑張りました”のアイスを二つ買って、一つを横に差し出した。そうして空になった手で、ぺりぺりと包装紙を剥く。
長可くんは最速で剥いて、既にアイスを食い始めている。余談であるが、最近は棒から外れないよう食べる事を心掛けているらしく、三口で食わなくなった。
いざ口に含もうとした矢先、こちらに向かってくる足音が聞こえる。
「ああ!居ました!」
走ってきたのは、ジャンヌさんの架空の幼少期────ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィさんである。
私はその、“頭の頭痛が痛い”みたいな呪いの名を呼ぶ事はせず、「サンタリリィさん」と端的に呼ぶ。
長可くんは「よう、ガキ!」と声掛けはしたものの、アイスを食っている為、それ以上何かを言うことはなかった。
用事かと問えば、サンタリリィは胸を叩く。
「ふっふん。私、まだまだ未熟ですけど。それでも立派なサンタですから。次は、後輩を育てないと。
サンタの仕事は、夢と理想は、次へ次へと…次世代に、続いて行くのです!」
よくわからないが、頑張っているらしい。
私は溶け行くアイスを見守りながら、「がんばれ」と素直に応援をする。彼女は一言お礼を言ってから、その小さな手を差し出した。
「どうですか?サンタ」
えっ…?
「私がサンタに…?」
「はい!貴方がサンタに!」
「いや…それは…無理、かな?」
私は多分、サンタというものにめちゃくちゃ向いていない。
思想の基盤が魔術師で、全く他者に奉仕する心が無いからだ。
サンタをやれと言われれば、サンタを遂行は出来るだろうが…本質的なところで、“人の望みを叶える”という事が不可能────マトモな感性と共感性が欠けている為、無理なのである。
そう言って、断ったけれど。
サンタリリィは無邪気に笑って、少しだけジャンヌさんに似たような、片眉を上げた微笑みを浮かべた。
「私は、海を見ました。サンタクロースに願いました。
それが私の────ジャンヌ・ダルクの、小さな夢だったのです」
要領を得ない話だ。
その言葉は、何かを示しているように思う。だけれど、私にはその全体像が分からない。
「子供には平等に、プレゼントがあるべきです。
トナカイさんの国では、十五歳で成人なんて時代もあったみたいですけど。私が思うに、まだまだ全然サンタクロースが来る年ですからね!」
そう言ってサンタリリィは、長可くんに長靴を手渡した。お菓子がモリモリに入っているそれは、見るからに子供向けである。
「サンタ、検討しておいてください!
ああ勿論。ご実家を継がれるのであれば、断っても大丈夫ですので!」
彼女は長可くんが持つと大変小さく見える長靴を置いて、サッサと廊下の奥へ走っていった。
取り残された私たちは、「食うか?」「長可くんが食べなよ。子供だよ」「うははは!オレがガキ扱いされんのとか、いつ振りだろうな!」などと緩く駄弁っている。
しかし、長可くんが子供か。
確かにそれは…一理も二理もある。
長可くんは元服してるけど、平成の定規で測れば未成年だろう。私は失念していたなと反省して、「来年からは、私も長可くんにプレゼントあげるよ」と口約束をする。
「ああ? サンタとかいうヤツ、継ぐのかよ?」
「ええ? 無理だよ。後継ぎなんて、寧ろ私が欲しいくらいなのに」
後継問題。それは、私も頭を悩ませている問題である。
私は楽しく生きられるなら、魔術とかどうだって良い。でも、分家の人間はそう思ってはくれないだろう。
元々、ウチが落ちぶれたから本筋に成り上がったというのに、結局私で盛り返したからと、家督をコチラに戻してしまったのだし。
そうなると分家から婿もらって、私と婚姻を結ぶのが丸いのだろうが。
長可くんは、私が後継を欲しがっている事に疑問を抱いていた様子だったが、暫く考えた後、「ま、そりゃそうか」と、勝手に納得する。
「テメェ、なんだかんだ言ってクソ生真面目だしな。
“やることやった後に食うから、大抵のモンはうめェ”んだっけか。そんなん言うくれえだからよ、勝手に家督取り潰さねぇわな」
「そうそう。やれる範囲で家督は継ぐよ。
でも婿選びはさ。血統依存の一子相伝があるから、どうしても難しくて。
それに魔術師って、婿が貰いづらいんだよ。一家に子供は二人までが普通だし。更に長男だと使い道あるから、大体養子には出されないしね」
特に説明せずとも、長男の政略的価値を長可くんはよく分かっている事だろう。
その辺は、戦国と同じである。家督継がなかったにしても、分家継がせたり、貴族から嫁を貰って家分けたり、長男には色々な役目があるのだ。
「ほーん。欲しいなら奪っちまえばいいじゃねえか」
「それキリエライトさんにも言ってたね…」
流石はスーパー狼藉武将。野武士も鎌倉武士もビックリのトンデモ逸話が乱立する森長可という英霊は、現代に在っても非常に戦国脳だ。
だが、彼はまあ野蛮ではあるけど、乱取りで女を奪っている印象はない。
というか、女性に乱暴をする印象が無かった。女性に優しいとか、そういうことが言いたいわけではない。
長可くんは女子供も普通に殺す。殺しはするが、その殺し自体も男女平等にサクッと一発だろう、という意味である。
わたしは素直に質問をする。
「そういう長可くんは奪ったりしたの?」
「いんや?女が欲しいとかは思ったことねえしな。十七んときには祝儀を済ましてたしよ」
十七というと、今の長可くんの姿と多分そう変わらない。享年こそ二十七だが、人物としてのピークはその辺ということなのだろう。
此処での森長可は、沖田さんを小娘呼ばわりし、景虎さんにガキと言われる程度の年齢である。
彼はその時に池田家と血縁を結び、恐らく恒興に大変気に入られていた筈。
ソースはない。恒興に似ていると散々言われたこのわたしがそう思うから、“多分そう”という感覚である。
推測の域を出ない話だが、恒興にとっても、森長可くんというのは超絶目に掛けているサイコーの男だったのだろう。
イケメンで勇猛で一途。あんまり茶も書も興味なくて、わりと無粋だった恒興と違って、とっても風流。内気でインキャ気味の自分にもグイグイ来て、いっしょに居て楽しい。戦場に出たら、案外足並みを揃えてくれる。
これは…好きになってしまう。
時世を加味しても、同じくらい仲良しの前田んとこは長男が梅毒だった筈。
一族みんな女で遊ばなかった森家は、かなりの優良物件である。織田の重臣だし。
「大殿や殿下みてえに女侍らせてえとも思わねえしな」
「美人に興味無いってこと?」
「まー、そうだな。女は顔より度胸っつうの?いざって時に、火縄持って打って出るくらいの根性ある方がいいわな!」
池田せんの逸話である。
私は特段その話に妬くことはなく、“やっぱりそうなんだあ!”と勝手にテンションが上がった。
長可くんも、こちらがそう受け取るだろうと判断したから口に出した感じがある。推しの妻の話聞いて、喜ばないファンなど存在しないだろう。
「クソ度胸が過ぎて、腕千切って自爆されると流石にどうかと思うけどな!」
「長可くんも腕千切って投げてたじゃん」
「オレとてめーはちげぇだろうがよ」
長可くんは口を尖らせて非難してくる。
私はたまにド直球の悪口を言われることがあるが、この件は特につつかれる頻度が高い。長可くん的に、“常識ねぇのかよ“の案件だったのだろう。その節はごめんね。
「まっ、討ち死にして欲しいとは思わねえんだけどよ。
女子供が戦で死ぬなんざ、碌でもねえ。武士の妻なんか辞めとけって感じだぜ」
彼の武士嫌いというか、武士に対する主観は常時冷ややかなものである。
自分は妻と仲良くやっていたが、それはそれとして自分はハズレ物件だと…武士は武士全体でオールハズレ物件だと考えている感じがダダ漏れであった。
嘗てのバーサーカーが願った、”楽しく生きろよ“というのは。
武士と魔術師を近しいものと重ねた上で、ハズレくじを引いた私に対するせめてもの手向けであったのだと、今の私にはよく理解が及んだ。
その上で、“それは記録であって、記憶ではない“と聡い彼は理解している筈なのに、自分のモノとして扱っているからこそ、今でも私とつるんでいる。
こんなにイカれてる割に、なんでそういうとこだけストレートに格好良いのか。一生の謎である。
「つかテメェのことは奪う予定ないしな。奪う必要もねえだろ。元からオレんとこ居るんだしよ」
は?
私は心の底から「は?」と口に出す。
「サクッと手篭めにする気もねえから、ドンと構えてくれや!
予め褒美として下げ渡してくれって言ってあっからよ。そういうめんどくせえ根回し、大殿はうめえんだわ。その場のノリで生きてる感じすんのになー」
「その話聞いたことないんだけど」
「言ったぜ、殿様に。大義が成ったら、オレは返還せずに下げ渡してくれってな」
とんでもない爆弾発言である。
平蜘蛛が吹っ飛ばされたような心地になった私は、「はあ?」ともう一度口に出す。
それを長可くんはゲラゲラ笑って、顔の横に手を付いた。私の顔に、大きな影が掛かる。
「ヒャハハハハ!鈍いんだなァ、元マスター様はよ!」
壁に付いてない方の手で、森長可はヘッドロック────をする事はせず、極めて丁寧な手付きで私の首に触れる。顎に親指が掛かって、首を上に向けられた。
「オレを婿養子にすりゃいいだろ」
かち合うのは、ひどく静かな瞳である。
非常に理性的で、普段の獰猛さなどは全く感じられない。
「前は長可くんが自分は駄目って言ってたじゃん。
それが無くても…藤丸さんみたいなのが生きてける世の中じゃ、武士は邪魔になるって言ってたのに」
私は嘗てのように、しゃがんで壁ドンから抜けようとする。
しかし、森長可はそこいらのチンピラとは違う。大変に学習能力のあるインテリドキュンだった。安易な逃亡を図った私は、逞しい脚に着席する。こいつ股下に足突っ込んでやがった。
「おう、わりーな。気ィ変わったんだわ。
まあ、二言だからな。そら誠実さに欠けるよなァ。責任取って腕とか要るか?」
切腹はしないんだ…とぼやけば、長可くんは笑った。
「てめえの人生メチャクチャにしといて、腹切って済ませようとかクソ野郎すぎるだろ。んなひでーことしねえって」
すごい甲斐性。なんという漢気。私は魔術師らしく、好きでもない人と婚姻を結ぶ気だったのに。
長可くんは、いつの間にか責任を取る気満々だったらしい。…何処で?何時?どのタイミングで?とか色々聞きたい事はあるが、一旦話を待って欲しい。
私の頭の整理が付かないまま、長可くんが話を高速で纏めて行くからだ。
「そうなると、とっとと受肉しねぇとな。地上戻ったら、その聖杯くれや」
私は言葉を失う。
思わず半笑いで長可くんを見れば、なんてことのないように彼は笑っていた。
「“持ってる”んだろ?聖杯」
「…いつから?」
「はあ?テメー、此処来た時点で懐に入れてたじゃねぇか」
これは、私の切り札。誰にも内緒の隠し財産。
この聖杯は、カルデアと離されていた際に運良く入手したものだった。
本当に立ち行かなくなった時。手詰まりだと判断した時。私はこれを、迷わず使う気でいた。
褒美を貰う折。露呈すれば絶対に回収されると確認もしていたから、一度も取り出さなかったと言うのに。
「中々やるっつってもよ。生身の人間が、特異点で単身飄々と生き延びれるわきゃねーからな。
ま、だからテメェ殺さなかったんだけどよ。本気でオレを殺す気なら、それ使わねえ訳がねえし」
森長可はやはり、全く抜け目が無い。
“特異点で長い間、運良く生き延びていました”なんて嘘、ふつうにバレバレだったらしい。
そんでもって先日の凶行では、”全力で殺害しに来た訳ではない“と判断する材料となっていたそう。命拾いである。
藤丸さんを謀ってるわけじゃないから、泳がされてたに過ぎないようだった。
私は「テヘヘ」と誤魔化そうとするが、眼前に手が差し出される。ああ。聖杯、普通に回収されていく。
「サンタクロースの贈り物っつうのは、元服過ぎても貰えんだろ。さっきテメェもそう言ってたよな」
私は先程のサンタリリィを思い出す。これは、多分だが。サンタアイランド仮面と、トナカイと、サンタリリィの共謀である。
隠し聖杯を見抜いたやつ。こうなるように仕組んだやつ。焚き付け役。
後継の話をすれば、私は必ず断る。実家を継ぐからだ。そしてその話から、最後は必ず私自身の後継の話になる。
この忠臣、森長可が本当に欲しいもの。私という魔術師から、最も手に入れたいもの。
「んじゃ、そういうことだからよ!今後とも頼むわ!」
それはお菓子でも聖杯でも名誉でも無い。────責任を取ったという、確固たる誠実である。
「つ、妻は…!? きみ、一生涯妻一筋じゃん!」
「記録と記憶はちげーだろ。記録としちゃあるが、そりゃサーヴァントのオレの記憶じゃねえ。
オレ様は武蔵守の鬼武蔵、森長可だがよ。その前に、“そういう風に再現された存在“なんだからな」
切羽詰まった私の言葉に返ってくるのは、どうやっても反論出来ない強すぎる正論である。
なんで魔術師の考えで論破してくるんだよ。私は動揺して、声を荒げながら言及をした。
「は、はあ!?じゃ、じゃあ私も違うじゃん!蘭丸くん…成利くんも違う!
それ、記憶じゃないって分かっててなんで…!?」
「あー?言ったろ、“てめえがオレを身内だと思うなら、オレからしてもそうだわな”ってよ」
サーヴァントは記録を持って召喚されるだけで、記憶があるわけではない。
記憶は召喚されて以降のものだけ。それまでの────生前の記録や、以前の召喚の思い出。それは一律、同一の名前を与えられた、別存在の“記録”に過ぎないのだ。
それについて、私は以前ロードに尋ねたことがある。
“あれは、貴方のライダーではない。
それなのに何故、慕い続けるのか?“
それに対する返答は、非常に筋の通っていないものだった。
”君の疑問は尤もだ。記録は、記憶ではない。
この私も、ロードエルメロイ二世本人ではない。
だが、君は私をロードと呼ぶ。
────それが、答えなのではないのかね?“
彼はわたしのバーサーカーではない。マスター権利が、という話ではない。正真正銘、別存在なのだ。
ロードはそれを理解しているのに、イスカンダルをライダーと呼ぶ。わたしも、それを理解している癖に長可くんを“バーサーカー”であると。非常に迷惑な同一視をした。
森長可もそうであると思っていたけれど。狂ってるから、境界認知も当然歪んでいるのだと思っていたのに。
彼は聡い。別だと分かった上で、別だと処理した上で、それで良いやと此方に合わせていただけだったのだ。
…長可くんの言い分は分かったけど。
行動理由も、その結論も、分かったけど。それでも私には、ハイと頷けない理由がある──────!
「いや、ダメだ。ダメだよ。婿入りなんてしたら、森君じゃなくなっちゃうじゃん!」
「元から長可って呼ばせてたろ。てめえからしたら、全く問題ねえだろうがよ」
策士かよ。
こういうところインテリだからまじで困る。何処まで読んでいて、何処まで想定してそういうことをしていたのか。
しかし私も引き下がらない。言い返す文句を考えて、思い付かず率直に抗議をする。
「藤丸さんには、サーヴァントに入れ込まないで医者と結婚しろって言ったのに!?」
「そりゃそうだろ。殿様は戦が終わっちまえば、ただの民草に紛れるけどよ。テメェは無理じゃねえか」
遠回しに、外道のクソ魔術師畜生が甘えんなと言われている。
ダメだ。私が喋れば喋るほど、手痛いカウンターパンチが返ってくる。そもそも、長可くんは有り得ないくらいレスバが強い。ラップも上手い。いつも悪口がキレッキレ。勝てない。
「私はもう女子高生ではない!
現代社会に於いて、未成年に手を出すことは未成年淫行に値し、罰せられます!」
「うだうだうるせえな。アンタ変わらず笑顔が詫びてんだろうが。オレが愛らしいと思ってんだから、なんか他に困ることあっか?ねえだろ。
それに現代じゃ、オレらの常識なんざ適用されねえよな。婿が年下だろうが、全く問題ねえんだろうがよ」
はい、論破。
「安心しろって!婿養子だぜ。側室要らねえし、アンタが死んだら追い腹してやるよ!」
「ダメだって!死ぬのはダメ!ぜったいダメ!わたしが死んだら、わたしの首持って藤丸さんとこ帰ってよ!」
そんな。私は正直、森長可が手に入ってしまうのは、まったく全然、満更じゃない。欲しいか欲しくないかで聞かれたら、欲しいに決まってる。
これ以上惹かれる人間なんて未来永劫、過去に戻ろうが世界線を移動しようが、絶対に存在しないと断言出来る。
森長可にとっての運命は私でなくとも、私にとってのアンでメアリーは彼なのだ。
でも、そうじゃない。別に婿に欲しいから粉掛けてたとか、そんなんじゃない。
私は、そういう邪な気持ちで長可くんを愛でていたわけでは────!
「てめえ、オレのこと好きだろ」
「いや、それは…」
「くだんねえ言い訳とかすんじゃねぇよ。誰が見てもわかんだろ、ンなこたよ」
有無を言わさず。長可くんは屈んで、私の耳元に口を寄せる。前髪が頭に乗って、めくれる。
メカクレの下の、輝く瞳が私を見る。お宝すぎる。助けてくれよ、バーソロミュー!
「ナマエ」
囁くように耳打ちされたのは。呼び捨てにされた、私の名前である。
いつものように“様”などは付いていない。それは気安い身内を呼ぶような、甘い親愛のある声だった。
魔術師としての名前ではない。祖先や血縁なんて全く関係が無い、私の、私だけの、唯一の名前。
はわわ…と、少女漫画のように泡を吹くことしか出来なくなった私に、飛び切りの笑顔が向けられた。
私の人生。私の運命。私の生涯に想いを馳せる。これは────反則だろう!
どうしようもない暗闇の中で。つまらなく濁った雑踏の中で。楽しみなどない血の海の底で。
つまらない人生の中で、この輝くような笑顔を見た。運命の夜に、決して褪せない光景を焼かれた。
嘗てのわたしは。今の私は────!
「待ってたんだぜ? 呼び捨てにする、ここぞって時をよ」
長可くんにしては、珍しく。少しだけ、照れ臭そうではある。柄じゃねえとでも思っていそう。
しかしそれは。確かに悪い、やんちゃな笑顔でもあった。
これ見て、わたしは。もうどうしようもなく。木っ端微塵に。大変に、メチャクチャになった。
高鳴る心臓は私が人である証明。根源なんかよりも、長可くんを素敵だと思う自分を肯定した証なのだ。
そりゃもう返答は、「好き…」以外に出るわけもないだろう。ああ、私の人生。両の手でも、百点ぽっちでも足りない。満点を通り越してしまう。
だって、これって多分。今思えば、確実に。
紛れもなく─────恋だったのだから。
