光のプレーン01

「何故シブスト城に来なかった」

 おじいさんは少女に訊ねます。
 少女はおじいさんの引き取った魔法使いでした。非情で、効率的で、兵士としては理想的な人格をしています。
 そんな彼女は、おじいさんやおじいさんの最も信頼している魔法使いが死んだ時、次の役割を約束していました。

 少女は魔法が得意で、勤勉です。根気強く丁寧でもありましたから、おじいさんが想定していたよりもずっとずっと魔法が上手になりました。
 だから少女は仕事を与えられたのです。
 ですが、彼女はおじいさんの頼みを聞かず、持ち場を離れてしまいました。

「カシュー橋で交戦したから」

 カシュー橋は、シブスト城のある都市ガルバンゾと、学校のあるこの街を繋ぐ唯一の橋です。
 少女は本来、そこに居てはいけませんでした。

 少女はその辺りの魔法使いじゃ敵わないくらい、非常に魔法が得意でした。だからシブスト城に誘い込んだ魔物を倒す手伝いをするように言われていたのです。

 だけれど彼女は持ち場を離れて────結果的に、被害が拡大しました。
 当たり前です。少女のひとりよがりな考えで助かったのは魔物だけ。他はみんな死んでしまいましたし、老紳士の想定よりも大きな被害が出ました。

 それは元々、おじいさんが死ぬ前提で送り出した兵士たちが生きて帰って来てしまったことに起因します。
 彼らは圧倒的な力を目にして、それを求めてしまいました。おじいさんや光の魔法使いが止めても話は聞かず。そして結局、戦う前に死んでしまいました。少女は、魔法が得意だったからです。

「兵士が時間稼ぎをする間に、キミだけ此方に来るように言った筈。そうだったね?」

「でも、あの橋には卒業生が沢山居た。まだ未熟な魔法使いたちが。きっとこんな学校に通ってなければ、彼らは死ななかった」

「ナマエ。兵士たちは志願してあそこに居た。それに、死ぬことは終わりではないんだよ」

「終わりじゃないから死んだって良いって?
おじいさんは、それが正しいって言うのか?」

 心無い兵士だった少女には、何かが芽生えていました。
 疑問、猜疑心…それは、今まで彼女には不要だったものです。愛を与えることがおじいさんの目的でしたが、望まない地獄と葛藤も産んでしまいました。愛は、矛盾と共にあるからです。

「あの戦いで、沢山の魔法使いが死んだ。剣聖も、名の知れた魔道士も、卒業生も。
魂は星となって、何処かのプレーンへと飛び立つだろう。次の命になるだけなのだ。
…キミは橋に向かったけれど、それは卒業生たちの為かい?本当はもっと身勝手な、エゴだったのではないか?」

「分からない。考えたくもない。
おじいさんはわたしに聞くばかりで、何も教えてくれないね」

「キミの独断で沢山の犠牲が出た。代わりに生きているのは一人だけ。
それはキミの選択で、キミの行動が齎した結果だ。その理由を探さなければ、キミはいつまで経っても自分を知れないまま。私の言葉に従ってばかりで、何処へも行けていない。
近道を歩いているつもりで、本当は歩けてすらいないんだよ」

 少女はおじいさんが怒っていると思っていましたが、老紳士は穏やかに笑うだけです。
 それが怖くて、理解が出来なくて、少女は困ってしまいました。出会った日と一緒で、少女はおじいさんのことが何も分からないのです。

「キミの判断は正しい。私にとっては間違いで、キミにとっては正解なんだ」

「…」

 おじいさんは少女の手を引きます。
 彼女の独断は伏せられ、戦争があったことも伏せられました。でも、少女は思います。
 例え自分が罰せられたとしても。例え誰かから非難を浴びようとも。死んでいった卒業生たちの想いは────ココロは、隠すべきではないと。

 それを分かっているのか分かっていないのか、おじいさんは少女に微笑みます。

「次が来た時…今度は迷わないようにしなさい。それがきっと、キミの全てになる」

 

 ▽
 目覚めたナマエは、洞窟の中に寝転がっている。
 辺りを見渡しても何も居らず、融合を望んでいたエニグマも居ない。どうやら雑にワープは出来ても、座標はランダムのようだ。

 それもそうで、ワープは高等魔法。余程の腕前が無いと出来ない…というか、特定の種族以外は基本無理だろう。
 出来るだけ大したものだ、と膝を払って立ち上がる。

 歩きながら耳を澄ませば、小さな話し声が聞こえる。声を頼りに進みながら、盗み聞きをした。
 此処が何処かも知らなければ、対面する相手が友好的かどうかも分からないからだ。
 もしも敵対するならば、有利対面から襲いたい。誰だってそう考えるだろう。

「なあ…話ってなんだ?」

「やあ、よく来てくれたね」

「なんだかここ…薄気味が悪い。早く本題に入ってくれないか?」

 男二人が会話しているらしい。ナマエは火を付けずに、息を殺してゆっくりと近寄る。辺りは真っ暗で、洞窟の外は夜なのだろう。

「恐ろしいということは…キミの中にもハートがあるんだ。
…なあ、知ってるか?生き物は、ハートが無くなったり壊れた時に止まるんだ。逆に言えば、死んだと言われている生き物でもハートを入れてやれば動き出す。
パーツが無くて、動けないだけなんだよ」

「ハハハ!そんなワケないだろ!
ティラミス、オマエ疲れてるんだ。家に帰って寝なよ、馬鹿らしい」

 彼らがパペットだと分かった時、パペットは一人になっていた。
 ナマエは殺人犯を倒すか悩んだが、気になることを彼は口走っていた。その内容は非常に興味深く、尋ねる必要がある。
 指先で火を点けて、わざとらしく足音を立てて近付いた。

「こんばんは。ねえ、聞きたいことがあるんだけど…」

「!」

 パペットの男は刃の魔法を放ったが、そんなものはカスのようなものだ。クラスメイトの方が断然強い。
 ナマエはわざと正面から受けて、己の力量を誇示する。パペットの男は後ずさった。

「貴方を殺そうとか、捕まえようとかってワケじゃない。
ハートについて聞きたいだけなんだ」

「…さっきの話を聞いていたんだろう。オレはハートが必要だ。だから、動いているヤツからハートを貰う必要があるんだ。
コイツのハートも、早く使わないと壊れちまう」

「自分のハートじゃダメなの?」

「失敗してばかりなんだ。自分のハートを使った時、万が一失敗したら…弟は二度と生き返らないだろう」

 ナマエは土の下のパペットを思い出した。彼の身体は、もしかしたらまだ綺麗かもしれない。
 彼の葬儀にはナマエも参列したが、棺桶は立派な鉄の箱だった。一年くらいならば、少し傷んでいるくらいだろう。

 もしもティラミスの話が本当で、パペットだけに伝わる秘術なんかがあるとすれば────。

「わたし、貴方の…窃盗を黙っていてあげる。手伝ってもあげるよ。
だから弟さんが蘇ったら、ティラミスさんのハートをくれないかな。わたしは強奪とか、あんまりしたくないから」

「ハ!信用出来るか、ヨソモノの話なんか。オマエも、オレを内心で笑っているんだろう!」

「どう思っていても構わないけれど、此処で貴方をやっつけたっていい。選択肢なんか無いんじゃないの?」

 パペットは押し黙って、しばらく思案した後「そっちを持て」とナマエに命令した。

「此処に捨てて行かないの?」

「殺したい訳じゃない。ハートを借りたいだけだ。村に戻さないと身体が傷んじまうだろ?」

 確かにそれは、理に適っている。彼は殺しているのでは無く、治療行為の為に借り受けている体なのだから。
 ナマエはパペットの軽い身体を持ち上げて、ティラミスの先導で村へと向かった。

「此処は何処?」

「光のプレーン。トルーナ村だ」

「取り出したハートは何処にある?」

「無い。抵抗されて、どれも壊れちまった。コイツもダメだろうな。オマエと話している時間が長すぎた」

「それはごめんなさい。代わりにわたしのハートをあげようか?
貴方が一つ頼まれ事を聞いてくれるなら、抵抗せずにハートをあげるよ」

「ダメだね。オマエにはハートが無い。殺さなくても分かる。
好奇心で殺人を眺める…どうしようもないクズの、人でなしだ」

 それならティラミスもダメだろう。
 彼もとっくの昔に、心が壊れているようだったから。

 ▽
「弟さんはどうして死んだの?」

 パペットを捨てて、宿屋の前で泥を落としたナマエは聞く。ティラミスも、ナマエも、余計な運搬で汚れてしまった。
 結局ハートはダメだったらしい。胸に手を突っ込んで、出て来たのは木のパーツだけ。作られた時に、お遊びで入れられたおもちゃだ。ハートはそんなものでは無いのだと言う。

 身体に有るが形は無い。頓知のような問答に、ナマエは少しだけ無力感を抱く。
 彼と自分の求めるものは、根本から間違いなのだと薄ら思ったからだった。

「崖から落ちたんだ。その衝撃で…
この村のヤツらはクズばっかりだ。死に行くヤツを助けようともせず、それを受け入れるだけ。そんなヤツらよりも、弟が生きていた方がずっと良い!」

「命の重さは同じなのに、家族と他の人で違うものなの?」

 ナマエの問いに、ティラミスは鼻を鳴らした。可哀想なものでも見る目でナマエを見下ろす。
 随分と精神がイカれてしまっているらしい。震える手で、彼は酒瓶を開けた。

「命の重さが同じだなんて、タチの悪い冗談だ。その辺の有象無象より、家族の命が大切だろう」

「ふうん。それって、愛があるから?」

「そうだ。ハートがあって、ココロがある。
家族と他人…どちらか片方だけが助かるなら、オレは家族を救うし、例え一人のために沢山死ぬとしても…争うとしても、弟を選ぶよ」

「弟さんがそれを望んでいるんだね」

 ガラスが割れる。パペットの木製の指に小さな傷を付けた。
 しかし彼らは血を流さず、傷付いた木片があるだけ。更によく見れば、指はそんな小さなキズだらけだった。

「…違う」

「?」

「弟は…きっと争いなんか…ぜんぶオレの勝手で…オレが、弟の為に…」

 彼はナマエを可哀想だと憐れんだが、ティラミスの方がよっぽど哀れに思った。
 元から持たないナマエと違う。
 気が触れたまま、僅かな理性と正気を残して、こうして苦しんでいるのだから。死ねば、彼は救われるのかもしれない。

「安心しろ、直ぐにハートはやる。次は必ず成功するんだ。オレは必ず、ムースを…」

「お酒は辞めなよ。震える手じゃ、ハートを取り出せない」

 ナマエは好奇心から彼について来たが、ハートというのは彼が見ている夢なのかもしれない。
 だがそれでも、僅かな可能性があるなら知る価値があった。本当にパペットが蘇るなら、ナマエは聞きたいことがあるのだ。

「それより、次って?もう次の標的…じゃなくて、ハートを貸りる人を決めてるんだ?」

「ああ…そうだ。彼女なら…ミルフィーユなら、分かってくれる。優しい彼女なら、ハートをくれるだろう」

「その人のことが好きなのに、ハートを貰っちゃうんだね」

 ティラミスが酒瓶を投げ付ける。どうやらナマエは地雷を踏んだらしい。

「入るな。弟が起きたら…命を奪いに来い、この死神が!」

 そのままティラミスは宿屋に入ってしまう。もう夜が明けるとはいえ、宿無しの野宿は微妙だろう。外に遺体も捨ててあるし。
 困ったナマエは、仕方なく先に進む。無理に雑魚寝をするより、下見に時間を使った方が有意義だからだ。

 ▽
 日も上がり切った朝。あれから数時間が経ち、遺跡の外周をウロウロしていたナマエは喧騒の音に引き寄せられる。
 見れば、クラスメイト────ガナッシュがティラミスを追い回していた。

 大した怪我では無いようだが、穏やかでは無い事態である。
 ミジョテーを撃つガナッシュに割り込んで、それを受ける。走って行くティラミスを見ながら、魔法を受けた場所をさすった。威力は控えめで、どうやら殺す気は全く無いようだ。
 
 ────殺してやればいいのに。
 そう思ったが、閉口する。それは彼の決める事で、ナマエが口出しすることではない。

「ガナッシュ。何してるの?」

「ナマエ…」

 遠くなる背中を見て、彼は深く溜息を吐いた。
 ナマエに付いた砂埃を払って「怪我は無い?」と尋ねる。特に無いのでナマエは頷いた。

「本当に?」

「うん」

 疑り深いガナッシュは、ナマエにカエルグミを渡す。信用が無い。
 後で食べようとポケットに突っ込もうとしたら、じっとりとした視線に咎められた。仕方なく口に含めば、ガナッシュは話し出す。

「キミは知らないかもしれないけれど、アイツは殺人鬼なんだ。邪魔をしないでくれ」

 ガナッシュは此方の質問には答えず、己の用件だけを言う。まあ概ね、ティラミスが殺そうとしていた相手と知り合いだとか、その辺りだろう。
 彼はクールだが、面倒見が良くて少しだけお節介だ。こうしてナマエに怪我が無いかも確認して来るし。

「ティラミスさんのこと、知ってるよ。知ってるから割って入ったんだし」

「…なに?オマエ、知っていてアイツを逃したのか!」

 ガナッシュはナマエを睨み付けて、言外に責めるような表情をする。
 そんな顔をされても、この村にとってナマエもガナッシュも余所者だ。彼らには彼らの事情があって、踏み入る理由も同情する意味も無いだろう。
 
 此方にとって、この村はあくまで通過点に過ぎない。そこにあるのは損得だけだ。

「ティラミスさんが蘇生に成功したら、わたしが彼のハートを貰う約束をしていたんだ」

「…それは、姉さんの…カベルネの兄さんに使うためか?」

「そう。わたしはシャルドネに用事がある。聞きたいことがあるんだ」

「バカらしい…ハートなんかない。どうしてそれが分からない?」

「分からないワケじゃないよ。でも、可能性があるならって。
彼はラキューオに居なかったから、どんな眉唾でもわたしは試したいよ」

「…ラキューオに?」

「うん。他の子達には沢山会えたけど、シャルドネはダメだった。まだ転生する気がないのかも」

「…」

「薄々そうとは思っていたけれど、いざ確定すると残念だなあ」

 ガナッシュは呆れと同情の混じった、複雑な表情でナマエの手を引いた。蘇生が望めない以上、特に村に戻る目的の無かったナマエはよろめく。

「村に戻るの?なんもないよ」

 先に進もうと提案するナマエに、ガナッシュは静かに聞いた。

「姉さんがキミを壊したの?姉さんが居なければ…キミはこんな風にならなかった?」

「こんな風って?」

「他者を虫けらみたいに扱って、死んでも何も思わないんだ」

「そんなことないよ。優先順位が違うだけ。わたしは何も変わってないよ」

「違う。キミは変わったよ。作り笑いが増えて、明るく振る舞うようになった…」

 それは本当のことで、ナマエは何も返せない。
 だって、カベルネが心配する。彼はシャルドネを連れ帰ったナマエを酷く案じていた。自分も辛いがナマエも辛いだろうと、ナマエの前で弱音は吐かないのだ。別にナマエは辛くないのに。
 カベルネがナマエを見て気に病むようなことがあれば、シャルドネもきっと気に病む。

 だからナマエは明るく振る舞っているのだ。カベルネがナマエに同情しないように。シャルドネが死んだって、ナマエは平気なのだ。

「シブスト城に閉じ込められている魔物は姉さんなんだろ。キミに大怪我を負わせて、カベルネの兄さんを殺したのは…!」

「仮にそうだとして、ガナッシュはどうするワケ?」

「否定しないんだね」

「肯定もしないよ」

 ガナッシュはナマエの手を痛い程に握って、諦めたように笑った。
 ナマエは表情の意味が分からなくて、同じように笑顔を返す。

「オレがケジメを…姉さんを殺そうと思ってるって言ったら、ナマエはオレを軽蔑する?」

「全然。でも、止めるかな」

「どうして?」

「キミが死んだら、ヴァニラが悲しむよ。そしたら、シャルドネも悲しむ。二人がラキューオで会った時、きっと悲しくなるよ。
だから、わたしに殺させてよ。わたしなら、失敗しても大丈夫だから」

 ガナッシュは酷く、ナマエを悲しげに見た。

 
 ▽
 村に戻ったナマエとガナッシュは、ミョウジたちを見つける。
 少し逞しくなっただろうか?海岸で見た時よりも、ずっと靴が汚れている。

「ミョウジ!」

 遠くから手を振って声を掛ければ、ミョウジと…ミョウジの後ろから、ピスタチオとアランシアとキルシュが現れた。大体二日ぶりくらいである。

「ナマエだっぴ!匂いは村にあるのに、居ないから不思議に思ってたっぴ!」

「そうなの?わたしは昨日辿り着いて、すぐに村を出たから…入れ違いだったかな」

「じゃあナマエ、夜に出発したんだ〜?ダメだよ、危ないよ〜」

 ミョウジもウンウン頷いて、ナマエをメッ!と指差した。確かに、クラスメイトたちが夜行動するとは考えづらい。
 時間が余ったからと言って、村をスルーするのは良くないなと自省した。ガナッシュに会わなければ、そのまますれ違っていた訳である。

 気を付けるねと頭を下げたところで、ガナッシュが口を開く。

「ヤツの具合はどうだった?」

 ガナッシュはティラミスの様子を聞いているのだろう。彼は人殺しで、タガの外れた異常者だ。
 ナマエは死んで当然と思うのだが…ガナッシュに殺す気はやっぱり無かったようだ。

 ひとでなしが他人の脅し如きで改心出来るものか?とナマエは疑念に思ったが、ミョウジは黙って俯く。アランシアも、ピスタチオも口を閉ざして、やっと口を開いたのはキルシュだった。

「ガナッシュ…まさか、オマエがやったのか?」

「いい薬になっただろう。あれで、二、三日でもミルフィーユに介抱されれば、ハートって物も分かるだろう」

「ガナッシュ…知らないの…?」

「え…?知らないって….?」

「死んだっぴ…ティラミスは死んだっぴ…!」

 クラスメイトの沈痛な面持ちは、ティラミスが命を落としていたからだったようだ。
 それを救済だと思ったのはナマエだけだったようで、ガナッシュは酷くショックを受けていた。

「そんな…!まさか!命にかかわるようなキズじゃない…!そんな深手は負わせていない…!」

 そのまま彼は走って行ってしまう。
 残された四人は呆気に取られてそれを眺めていたが、ナマエはすぐに追い掛けた。もう何処にも行けなかったティラミスにとって死は救済で、ガナッシュが気に止むことは無いのだから。

「わたし、追い掛けるね」

 ナマエは返事も聞かず、走り出す。ガナッシュは足が速いから、ミョウジ達が纏まって移動する限り追い付けないだろう。
 ならば、自分が引き留めるべきだと。そう判断したからだった。


 暫く走れば、ナマエはすぐにガナッシュに追い付いた。
 彼は走るのを止めて、歩き始めて居たらしい。

「ガナッシュ」

 声を掛ければ、ガナッシュは皮肉げに笑った。笑顔だけれど、それは歪んでいる。彼の言う、作り笑いというヤツだろう。

「ナマエ…なんだ、オレを責めに来たのか?」

「なんで?ティラミスさんが死んで、村は助かったよ。責められるようなことじゃない」

「…死んだのにか?」

「所詮他人だよ。どうでも良いことだ」

 作り笑いが消えて、激情の色が灯った。怒っているようだった。

「人を殺したんだぞ!」

 ガナッシュは強い力でナマエの肩を掴んだ。肉がひきつれて、骨に直接力が伝わる。真っ直ぐに此方を見ていた瞳は戸惑いがちに逸された。
 ナマエは俯いた頬に手を添えて、此方に向ける。暗い色の目が、濁った表情の自分を写した。

「違う。殺してないよ。彼は勝手に死んだだけ。気にすることない。随分壊れた人だったし、死んで良かった。
仮に殺していたところで、相手は殺人鬼だ。罪悪感なんて覚えなくて良い」

「…」

「放っておいても、誰かが殺してたよ。あんなの、生きてても仕方がない。自分のココロも分からないんだから」

 肩から指が外れて、ガナッシュは乾いた声で笑った。ナマエに大して、酷く失望したような表情だった。

「ナマエ…オレは一人で行く。分かったよ。オマエにハートは無い。
姉さんはお前を心配してたけど…オレはそんな価値が無いと思ったよ」

「それには、返す言葉がないな」

 ナマエはやはりかという気持ちでそれを聞いていたが、ガナッシュは酷く傷付いた顔をしていた。
 事実を指摘しているだけなのに、どうしてなのだろうか。

「そうだよ。そんな価値は無い。でも、キミはそうじゃない。
ねえ、ガナッシュ…ミョウジたちと行こうよ。わたしが嫌いなら、わたしが一人で行けば良いんだから」

「…オマエがアイツらと行けばいい」

 ナマエに背を向けて、ガナッシュは走り去ってしまう。このまま追い掛けても、きっと心変わりは無いだろう。
 困ったナマエは大人しく四人を待つかと振り返るが、彼らは少し前から追い付いていたようだった。茂みから、申し訳なさそうにミョウジが出て来る。
 出て行ける雰囲気では無かったから、少し様子を見ていたようだった。

「ごめんね。怒らせちゃったみたい」

「…ナマエ、人が死んでるのに、なんも思わないんだっぴ…?」

「ティラミスさんのことはね」

「なんでだっぴ…?」

「だって、死なないと救われない人だったよ。自分が間違ってるって分かってたけど、もうそれしか希望が無かったんだ。
とっくの昔にココロが死んでたんだよ」

「だからって、死んでいいんだっぴか…?ミルフィーユさん、哀しそうだったっぴ…分からないっぴよ…」

 そう聞かれると、ナマエも分からなくなる。ティラミスは死んだことで救われたが、ティラミスを愛する人は彼が死んで救われるか?
 だが、死ぬことで救われる人を殺してやるのも、愛なのではないか?

 ナマエは少し後悔する。ナマエの最善は、他者にとってそうであるとは限らない。ペシュが言ったように、人それぞれの愛がある。
 だけれど、どこかに正解はある筈で────ナマエはわからないから、きっと正解から遠いのだ。
 独断で動くのはなるべく避けるべきだと反省した。

「あのね、ナマエ…ナマエはきっと、励ましたかったんだと思うの。私は分かるよ。
でもね…ガナッシュ、きっと悲しかったわ…死んじゃうことをナマエが肯定して…」

 ナマエは諭されても尚、意味が分からなかった。
 ガナッシュはナマエが死んでも、何も思わない筈だ。そんなに深い関係ではない。ただ、姉の友人であったというだけ。

 無意識に眉根を寄せていたのだろう。
 キルシュは「まー、ガナッシュ口下手だしな」と呆れた顔をする。アランシアは「口下手っていうか、言葉が足りないタイプだよね〜。んも〜、今度言ってやるんだから〜!」と言及した。

「次会ったら本人に聞けよ。ガナッシュは別に、ナマエのこと嫌いじゃないと思うぜ」

 キルシュは会話をそう締め括った。
 ナマエは、そうとは決して思えない。