魔法の正しい使い方

 ──────人生とは、思った通りには終わらないモノだ。

 柄じゃない事を言うわたしに、柄じゃない真似をするキャスター。
 最後だからと小っ恥ずかしい告白をして。インドア派で、ロジカル働きが専門で、理詰めのテンプレ理系ですよとクールに振る舞っていたわたしたちは、性根が熱血であったと知覚して。
 似た者同士で夢見がちな、どうしようもない理想主義者であったと相互理解をした。
 
 かなり恥ではあったけれど、気持ちよく。そう、清々しく。
 完全に終幕を迎えたというのに。

「私は思考実験の概念ですからね。
人間の感情を、本質的に理解は出来ないですが。マスターが考えている事、なんとなく分かりますよ」

「いいよ、口に出さなくて。仮定で置いとこうよ」

「この状況を表現するならば、そうですね。生き恥…とでも言うべきでしょうか」

 良いって言ったのに!
 横目で睨むわたしを、悪魔は楽しそうに見ている。良い根性してやがるぜと思ったが、この卑屈で嫌味な感じは間違いなくわたしがマスターになっている所為であるので、自責を甘んじて受け入れよう。
 わたしの性格が屈折しているから、人間のフリをする悪魔は“こちらのノリに合わせている”のだ。

 わたしたちは確かに敗退した。
 岸波白野とそのサーヴァントに負けて、彼らに自身の夢を勝手に乗っけて。そうして二人の行く末を見れないまま、海の青に溶けていった筈。

 だが、なんの因果か。どういう了見か!
 わたしは月の裏側で存命しており、そのサーヴァントも五体満足で────とは行かず、開幕からノイズ混じりで現界していた。

 すけすけ。此処に居るのに、幽霊みたい。
 彼との物理干渉は元から不可能だったが、ハッキリくっきり視認出来る形で“無理です”といった姿になってしまっていた。

「私、弱いですからね。分解するまでもなく、取り込む利も無く、放置されたと言うわけですか…」

 目に見えてガビガビのキャスターがぼやく。可哀想。
 
 現在の月の支配者であり、管理者であるBBは、大抵のサーヴァントをリソースとして分解、それをリサイクルして再構築を行い、この月を運営し掘り進めるための材料としたようである。

 …のだが、わたしのキャスター。マックスウェルの悪魔。
 彼は普通に放棄されていた。素材にすれば、大学生でも殴って倒せる弱点が付くとかいう、大変なデメリットを背負っていたからである。
 その上、再利用して得られるリソースより分解するコストの方が重いという、どうしようもない特性も有していた。

 バカデカくて煽りの死ぬほど強いアルターエゴに言わせてみれば、「メルトが不要物は始末しておいてって言ってたけど…なんか、そんな必要なさそうですよね!ちっぽけで、よわくって、無害すぎて、ちょっと可愛いくらい!
 きっと何も出来ないだろうし…面倒臭いし、あと胡散臭いし…置いといてもいいよね!」との酷評を受けていた。
 
 当然わたしはキレる。
 取り消せよ!今の言葉!と乗ろうとするマスターを「まあまあ、事実ですし」と諌めたのは、誰よりクールなサングラスの悪魔だった。
 なるほど。人間でないというのは、こういうド級の煽りを受けた時に効かないという最強のメリットがある。

 では、そのマスターであるわたしの方はどうなんだという話だが。
 まあ、全然。彼を謗る権利は、全くこれっぽっちも無い。お互い様である。
 
 わたしは“秘匿すべき秘密が無い”という点で、センチネルとしての利用が不可と判断されていた。

 だってわたしのSG────現実主義で、悲観的なのに、だからこそロマンチスト。
 それらは既に暴かれた後であったから。今更シークレットガーデンとしては使えないわけで、幸いだったとも言える。

 結果、夢を見る悪魔とロマンチストな魔術師は、二人揃って毒にも薬にもならない主従として放置をされていた。

「まあまあ、おかげで命延びたし。結果としては、ラッキーっていうか?」

 全然思ってない。内心大変腑が煮えくり返っている。
 このサーヴァントを────わたしが焦がれた魔法を愚弄され、放置出来るものとした全ての相手にムカついている…が、わたしはアンガーマネジメントも虚偽申告も上手い。
 何食わぬ顔で、心にも無いことを返した。

 流石にその発言は、キャスターに違和感を抱かせたらしい。
 彼は首を傾げて、露悪的でなく、心底不思議であると言った声色で質問をする。

「この停滞するだけの裏側で… 本を読むだけの日々が、ですか?」

「だって今やる事ないじゃん。
わたしたちが迷宮に入ったところで、あの赤いランサーに絞られるだけだよ」

 わたしは手の中の本を紙クズに変えた。そうしてまた、次の本を手にして思案する。
 何をしているかと言えば、それは単純かつ簡単で明快。読み終わった本をもう一度手に取ることが無いように、本棚を端から消滅させているのである。

「挑む前から諦めるのは、主義に反するのだと。
 ……貴方は月の表側で、そう言っていた気がしたんですけどね…」

「それはそれ、これはこれ。勝算も無しに体当たりするのは、命の無駄遣いってヤツだよ。
 挑むに足る場面じゃないなら、静観するのが利口ってモノだろう」

 キャスターは呆れた顔で本を手に取った。

「静観、ですか。この喧騒に参入せず、傍観をすると?」

「言葉の通りだよ。わたし達じゃ、BBと赤いランサーには太刀打ちできないからさ」

 こちらの返答に、キャスターは益々渋い顔をする。
 そうしてサングラスを指で押して、少しだけ諌めるような動作でこう言った。

「そう言われると、反論の余地はありませんね。
 ええ、マスター。私はその意向に従いましょう。しかし、本当に貴方は言葉が足りない。改めた方がよろしいですよ…」

 マックスウェルの悪魔の忠言に耳を塞げば、悪魔は深く溜息を吐いた。
 無造作に何冊も抜き取って、わたしが穴抜けにした列に差し込んでいく。此方も負けじと、彼の触れなかった背表紙に手を伸ばした。

 途中、邪教の尼と枯れた声のキャスターが図書館を訪れて、「あらあら。貴方の本は手付かずで残っていますよ。どれも嫌味で、偏屈で、暗い話ばかり。少しは陽気な物語でも書いたら如何ですか?」
 「フン。これだけ蔵書があるというのに、俺の本を目敏く見付けるとは…余程俺の本が好きらしい。喜べドブ川の毒婦!そのどれもが死によって救われる!ハハハハ!ほら見ろ、本人達は幸せそうだぞ!メリーバッドエンドだ!」
 「貴方は本ッ当に…!心底偏屈なサーヴァントですね!」などとディスりあって帰って行った。
 
 あんな感じだが、仲は良さそうである。
 ムーンセルの聖杯相性診断は、精神面だけで見るならば百点満点を叩き出すのだろう。
 本当に優れたマッチングシステムである。それが、命運を分けるモノで無かったならば。

 

 ▽
 静かに、だが確かに流れて行く時間に待ったを掛けるのは、いつだって前に進む人である。

「ご主人サマ、やっぱりダメダメですよ、この方達。
 全くやる気がナッシングっていうか…協力する気ゼロですう!」

 窓際で本を積み重ねるわたしたちを糾弾したのは、表の月の勝利者のキャスターだ。
 岸波さんは彼女を「まあまあ」と嗜めて、此方の助力を求めてくる。わたしとマックスウェルの悪魔は顔を見合わせて、揃って肩をすくめた。

「手伝いたいのは山々なんですけどね。私達が生徒会に参加したところで、特に出来ることもありません。
 それに、ほら。私、弱いですからね。今はマスターが乗り気でない以上、どうすることも出来ませんよ」

「弱々なのは私も同じですう!
 良妻賢母で、賢くって、可愛くって、お嫁さんにしたいサーヴァント第一位の健気で素敵な尻尾のワタクシですけど、物理は専門外に決まりまくってると言いますか…
 いえいえ!全く!これっぽっちも、批判ではありません!ご主人様が戦う限り、玉藻も精一杯頑張りますけどお…」

 わたしのキャスターと岸波さんのキャスターが“戦闘は専門外”と主張しながら各々コチラを見てくる。
 知らない!知らない!文句はムーンセルに!

「岸波さん。申し訳ないけど、わたしたちは協力出来ない。キャスターは起動しないし、何より令呪が無い。
 それでも、盾になって死んで欲しいって言うの?」

 岸波さんのキャスターがわたしに「あ?」と威嚇をする。
 わたしのキャスターが「ダメですってマスター。不用意に喧嘩を売るのは…」と此方を諌めてくる。
 だが、岸波白野だけは「そこをどうにか!」と手を合わせた。

「ご主人様…!なんて健気っ!
 よっ、イケメン魂!そんなところが玉藻は本当にもう…メロメロって感じですう!」

 そう言って狐耳の毒婦っぽいキャスターは、自身のマスターの腕に絡み付く。
 岸波さんはサーヴァントの好き好きアピールを歯牙にも掛けない。この二人は割と普段からこういう感じらしく、狐耳のキャスターは「ああーん!クールなご主人様ーっ!」とそれはそれで楽しそうだ。
 カオスな光景の中心は、こちらを真っ直ぐ見て、「一考して欲しい」と誠実にお願いをしている。
 
 いや、お願いをする態度じゃないだろ…!
 わたしは率直にそう思ったが、毒気を抜かれて交渉を優位に進められてはたまったものではない。こちらもキャスターとエアー腕組みをし、「馬鹿馬鹿しい」と端的に返答を寄越した。
 
「あまり、今のマスターが言えた事ではないですね…」

 キャスターがわたしを攻撃した。裏切り者!クール!素敵!
 横目で彼を睨んでいれば、悪魔は一歩前に出た。わたしの腕を擦り抜けて、ノイズ混じりの指先を揃える。

「これ以上の雑談は不要でしょうか。
 本題に入りましょう。私のマスターは、観測装置の所持者である貴方達に問いたい事があります」

 えっ、わたし?
 マックスウェルの悪魔は胡散臭く微笑んで、わたしへと掌を向ける。まあ。そら、有るには有る。
 
 だがわたしが聞きたい事があるのは、岸波さんのキャスター…玉藻の前の方。
 毒婦で妖婦の、それこそ殺生院キアラと然程変わらないような。人類悪に近しいだろう彼女にだった。
 
 月の勝利者である岸波さんの人となりは知っている。
 これがどういう存在であるかも、最初から大凡把握していた。他の魔術師には看過不可能だったとしても、わたしは一度此処の管理システムに不法侵入しているのだ。
 対戦相手がデータベースに居ない事くらい、当然知っている。
 だが岸波さんは、今を生きる人類なんかよりも、善良で公平で生きる事に誠実だ。この人の最終的な結論は、どういうモノか聞かずとも理解が出来る。

「岸波白野のキャスター。君が魔法を手に入れたら、どう使う?」

 わたしは端的に尋ねる。
 これ以外は聞く必要が無かった。わたしと彼が知りたいのは、それが全てだったから。

「ほほほ。そんなこと、わざわざ貴方がたに教えるとか、マジありえません」

 キャスターは口元を押さえて、そう含み笑いをする。
 それは攻撃的な言い草だったけれど、わたしたちへの害意は特に感じられない。そこから見える感情は、どれかと言えば────羞恥?

「当たり前ですぅ!
 私のあんなコトやこんなコト、恥だらけのぶっちゃけた話とか、ご主人様にも全く、少しも、いっちミリも聞かせたくないと言うのに!」

 残念ながら、交渉は決裂である。
 わたしは岸波さんの事はそれなりに好きだが、このキャスターの事は全く知らない。分からない相手に協力出来るほど、わたしたちの協力は安くはないのだ。
 もう話す事はない、と告げれば、岸波さんは「また来る」と去って行った。おおい!ハートが強すぎる!

 本当にめちゃくちゃな主従だ。
 わたしは大変に気疲れしながら椅子に着いて、悪魔に愚痴を言う。
 指先で魔術を行使し、麦茶のヤカンを引き寄せる。置きっぱなしのコップへ雑に注げば、悪魔はそれを呆れた顔で見ていた。“行儀が悪いとですよ”でも言いたそうだ。
 
「岸波さんのサーヴァントってあんな感じだったっけ。…てか岸波さんも、男の子だったっけ…?」

「これらの仮想世界は、BBが作成したモノに過ぎません。
 記録されたデータを読み込む際、別のスロットを使用してしまう…そういうことも当然、あるでしょう」

 ああ、そういう。PSPあるある。
 …なるほど、メタい。
 
 

 ▽
 来る日も来る日も本を読んでいると、日付の感覚が失われる。
 この間にも、表の勝利者は赤いランサーを何度も撃退し、何度も言い負かし、何度も月の外側────いや、違う。
 月の内側に。管理AIが掘り進めた月の核に向かって。彼らは確かに歩みを進めていた。

 わたしたちはと言えば。
 特に出来ることも、やれることもない。静かに本を選別して、要らないものを間引いていくだけの日々である。

 ただ、いつの間にか居なくなってしまった巨体のアルターエゴの行き先を思い、華奢なエゴの動向に目を光らせるだけだ。
 
 彼女たちは何処に消えるのか。
 岸波さんは、それを知っているのか?
 
 …まあ。わたしたちにとって、それらはどうでも良いことだ。
 育ちつつある化け物は、未だ羽化していない。蛹を潰す気もない。可能性を摘むのは、わたしの好みではないのだ。

「…では、ここで一つ。話をするとしましょうか」

 キャスターは唐突にそう言った。
 繰り返される、変わり映えのない色褪せた放課後。夕焼けに照らされる本は、永遠に劣化することがない。
 ただ、彼が問い掛けを始める。これだけで、今日は立派な非日常だった。

「話?今更?」

「ええ、今更。貴女と私の対話です」

 本を次々に引き抜いていくキャスターは、手を止める事なくそう言った。
 渋い顔をして聞き返したわたしに、振り返らないままこうも続ける。

「魔法とは、どう在るべきでしょうか?」

 それは。─────それは。
 一般的な魔術師であれば、返答は容易だ。魔法は、根源の為にある。
 だが、短くも長い時間を彼と過ごしたわたしは、模範に沿って答えはしなかった。

「全く魔術師らしい意見ではないけど…魔法というモノは、人の為に存在するべきでしょう」

「そうです。貴女ならばそう仰ると考え、問い掛けました」

 わたしはマックスウェルの悪魔を睨む。話の導入が長い。
 じゃあそれ、要らねえ質問じゃん。そう出掛かった言葉を、キャスターは視線で制する。

「魔法は“全人類の幸福”を叶える為に在るべきだ。全ての理想で、希望であるべきだ。
 ─────ですが、」

 手のひらが空を切る。彼は爪先を揃え、腰に手を当てて、不自然な程に正しく直立している。幾度も見た、いつものポーズだ。
 本命はこの話で、先程は前提条件を定める為に問うたのだと。彼の目が、静かに語っている。
 
「人類が一人きりだった時。排除されて、切除されて、残りの一人になった時。或いは、今まさに一人になろうとしている瞬間。
 その僅かたった一人を満たす為に使われても、それは魔法と言えるのでしょうか?」

 全人類を救うべく生まれる魔法の対象が、もはや一人しか居ないという過程の話だろう。
 それはあながち、非現実的と言うわけでもない。現在の人類は、着実に滅びの一途を辿っているからだ。
 ウィザードもじきに滅ぶし、魔術師は既に滅んでいる。魔女なんか、とうの昔に消えたと聞いて久しい。

 更に言えば、この箱庭。月という終着点。ここに生きる人類は、月の勝利者ただ一人だ。
 “そんな世界で第六魔法を起動したところで、幸福を齎す魔法であると言い切れるだろうか?”
 そのような、彼にとっては決まりきった問いを投げ掛けられているのだ。

 魔術師としての答えは簡単。
 魔法の定義は、根源に至れるか否か。それだけ。
 わたしは此方の価値観の持ち主で、マックスウェルの悪魔もそれを良く知っている。
 だけど、わたしは少し迷っていた。

「…どうだろうね。その時になってみないと分からない」

 悪魔は意外そうな顔をする。

「少し、驚きました。マスターならば”魔法の定義はそこじゃない。議論するまでもないことなんだけど?“…とでも、仰るかと…」

 キャスターの中のわたし、ちょっと性格悪すぎやしないか!?

「ハハハ、冗談です」

 わたしは彼の靴を踏もうとして、踏めないことを思い出した。

「よく存じていますよ。貴女は、“それは使い方次第である”と…そう考えている筈です」

 含みのある言葉だ。
 彼の内心は読めないが、その声色は酷く優しい。親愛の滲む、人外らしくない語り口である。
 
「出来ることなら、正しく使えれば、と。
 そう願っている事くらい、悪魔にだって理解できることでしょう」
 
 彼は楽しそうに笑っている。
 わたしは据わりが悪くなって、思わず席を立った。本棚に向き合えば、ノイズ混じりのキャスターが勝手に増設されたポットに手を伸ばす。
 柔らかな香りは、紅茶のものである。…どうやら、まだまだ話を続ける気らしい。
 
 この意地の悪さはわたしのせいだが。ちょっと、小悪魔すぎだろう!
 

 
 ▽
 この世界の終わりは、遅いようで早かった。
 図書館の床が抜け落ちて、電源が落とされて、この空間自体のリソースを誰かが勝手に使いまくってるらしい。
 恐らく、当初より岸波白野の協力者であった、遠坂凛とアトラス院の魔術師だろうと思う。

 わたしたちは外れた底から飛び降りて、岸波さんの開拓した迷宮を嘗てとは逆に進んで行く。
 表側ではあんなに必死に上がったのに、裏側では酷く簡単に地層まで降りてしまえる。なんだか少しやるせない。

 漸く下層に辿り着けば。
 在ったのは壊れた孔と、崩落の中心だった。
 
 月を走っていくのは、少年と女性のシルエット。クラスで三番目くらいのイケメンが、狐耳の妖婦を引き連れている。

 彼らは懸命に道を走る。歩くたび崩れる階段を、駆け降りて行く。それでもリソースが足りない。進むべき足場もどんどん消えて行く。
 月にはもう、道を構築するエネルギーすら無いのだ。

 あの破戒僧が起動した第三魔法────ヘブンズホールは、確かに魔法だった。
 人類規模の、欲望の捌け口。たった一人を満たす為に作られた、歪んだ愛の形。例えその起動者が敗北しようとも、一度引き起こされた崩壊は止まらない。
 
 人類の営み全てを観測しているこの場所で、月のリソース全部使った廃棄孔なんて開いてみろ。
 こうなって当然、破綻して当たり前なのだ。

 もう進める道などないのに、走って行く彼らの背中に問い掛ける。

「魔法があるなら、君はどう使う?」

 わたしは問い掛ける。
 声を張るつもりは微塵も無く。ごく平穏に、いつもキャスターが用いるような、胡散臭い語り口だ。

 岸波さんは、その微かな声を拾って立ち止まった。
 答えあぐねたように、ゆっくりと考えている。だけれど彼が返答する前に、大きな尻尾が風に揺れた。

「そんなの決まってるじゃないですかーっ!」

 叫んだのは、キャスターだ。
 わたしのキャスターではない。岸波さんの、彼にとっての、一番大切なサーヴァント。
 
「此処を打開し、ご主人様を現世に返す為に全振り以外なにが有るって言うんですかコンチキショー!」

 玉藻の前は叫ぶ。人に裏切られて、捨てられて、夢を何度も失って此処に居るだろうに。
 その瞳には、確かな希望がある。その先には、岸波さんが居る。
 
 わたしは続けて問う。
 自分が助からなくてもそうするのか、と。
 
「ええ!嫌です…嫌に決まってますけどぉ!
 そんなの、当たり前です!呪いも、まじないも、聖杯も─────魔法も!
 わたくしが愛し、わたくしを愛してくれる、この最高のご主人様がッ!誰よりも幸せになるために、使うべきモノに決まってやがります!」

 いやー!玉藻ってば、重い女!こんなの引かれてしまいますう!と彼のキャスターは錯乱している。
 よっぽど切迫詰まっているらしく、言いたく無かった事すら叫んだのだ。

 狐のキャスターの言葉を、わたしは一考する。
 自己愛も愛だろう。殺生院キアラもまた、救われるべき人類だった。
 確かに人類で在る殺生院と、意志のあるバグに過ぎない岸波さん。それでも人類の敵である殺生院キアラと、人類の味方である岸波白野。
 
 わたしはどちらの肩を持つか、最後まで決められなかった。
 人を救う魔法は、人に使うべきだ。だけど魔法は、“他人の為に在るべき“だろう。その采配を、振れずに此処まで来てしまった。
 
 だが、わたしは。愛より現実が好きだ。
 しかし現実よりも、ずっと好きなモノがあった。

「ねえ、キャスター。わたし、リアリストなんだよ」

「ええ、よく識っています」

「でも。それ以上に、夢のある話が好きでしょうがないんだよ」

「そうでしょうね。でなければ、私が此処に居る筈ありませんから」

 わたしは目を見開く。

「祈りに希望を見出せないヒトなどに、博士の夢は扱い切れない」

 キャスターは声を挙げる。
 物理演算で成り立ってるだけの髪の先が、風で揺れたような再現をした。

「…最後まで諦め悪く立っているのは」

 いつものように右手を差し出す。挙動に一切の乱れはない。

「────結局、こういう人種なのでしょう。
向こう見ずで、畏れ知らず。ゼロでないなら挑むべきだと、心の底から言う人だ」

 それは。他の誰でも無い、わたしの言葉だった。
 
 わたしは笑って、スカートのポケットからキューブを落とす。それらは図書館で地道に圧縮した、高エネルギーのファイルだ。
 数学に関する書籍は全て焚書して、残った本はキューブに変える。この月には今、“都合の良い話”しか記録が残っていない。

 現在、わたしとキャスターの間にはパスが通っていない。
 つまり念話は不可能であったのだが、口頭で作戦会議をすればBBに反乱の意思が露呈する可能性があった。
 だから、誰にも分からないような回りくどい方法で、作戦を共有しなければいけなかったのだが。
 
 ─────わたしがマックスウェルの悪魔を信頼しているように。
 彼もまた、わたしを見放すことはない。

 図書館という空間リソースをエネルギーへと分解していくわたしに、自身にとって邪魔になる書籍を周りの本を抜く事で伝えてきたキャスター。
 言葉の足りないマスターに困らされたサーヴァントは、今度は見落としの無いように。わたしの挙動と意志を、一手違わず正しく汲み取ったのだ。

「人間は度し難い。ですが、私はなんとなく。貴方が、そう言うような気がしていたんです」

 その足はすでに、ノイズを纏っていない。
 崩れ、壊れて行く月は、前提事象を保つ事すら出来ない程のエラーを抱えているからだ。
 
 わたしはマックスウェルの差し出した手を握る。壊れて行くのは、どちらの指先かも分からない。
 だけど確かにそこに在る。夢も希望も、確かに握り締めている。
 
 回路を開いて、自分自身の存在証明を賭けて────わたしたちは、最後の不完全な魔法を使う。

「見せてやろう、マックスウェルの悪魔!
 わたしたちに人類は“未だ”、救えないけれど!」

 歯車が回る。舞台の照明が消える。
 次にライトが灯った時。順番に輝いて行くのは、何処かへ続く階段だ。
 この光は人類の希望、科学の結晶だろう。この場に相応しい、魔術ではない別のものなのだ。これは月の王を次世代へ送り出す、灯火と言っても過言ではない。
 
 狐耳のキャスターが「なんですか!結局やる気なんじゃありませんか、あのサングラス男!龕灯返なんて、粋な事しやがりますね!」と悪魔を称賛する。
 随分和風な言い方である。デウスエクスマキナとでも、言われるかと思っていたのだが。…それは、誰にだったっけ?

 ご都合主義の、夢物語。結構だ。それの何が悪い。
 自己犠牲?結構だ。これは、誰かの為の祈りであればいい。
 だって魔法はいつだって、そうあるべきなのだから。
 
 魔法は、希望は、祈りは────!
 より善い明日を迎える為に、在る筈だろう!

「ええ。マスター、私も同意見です。
 夢も希望も無い魔法など、万物の幸福である訳がない────!」

 夢を見ているだけの、なんにもなれない自分だったけど。
 岸波さんの笑顔と、この狐のキャスターの笑顔くらいは…きっと、守ってやれるはずなのだ。

 
 ▽
 ────あるキャスターは言っていた。

「どのような人間であれ、己の幸福のために人生をかけるのであれば、俺には尊い光に見える。
 …だが、おまえたちはそうではないらしい。恋をしようと、愛しさに溺れる事はない。己を律し、地面に足を着け続ける。
 ははっ!馬鹿馬鹿しい!潔癖もそこまで極まれば、滑稽が過ぎてサマになると言う訳だ!」

 わたしのキャスターは答える。

「私が求めるのは、人類の幸福です。
 人に願われ、祈られ、望まれて生まれた机上の悪魔ですから。創作者が求めるモノとは、根本から違って当然でしょう」

「フン。それが馬鹿馬鹿しいと言っている。
 どんな英霊であれ、サーヴァントはマスターに味方するものだ。忌み嫌われた狐だろうが、貧弱な作家風情だろうがな。
 だがおまえはどうだ。死者ですらない妄想が、生者の思想を侵食している。…自らの[[rb:理解者 > パトロン]]をすずの兵隊にでもする気か?」

 それだけ吐き捨てて、皮肉屋のキャスターは去って行く。
 小さな歩みは、子供のモノではない。歩き慣れた、疲れた大人の足取りである。

「彼の言葉は度し難い。マスターには申し訳ないのですが、私には賛同しかねる事柄です。
 あんな口振りですが、敵意や害意が特に無い…と言うのは、理解出来ますけれど…」

 キャスターはそう言ったけれど。
 わたしには、彼の言ってる事が分からないでも無かった。

 しっかり者のすずの兵隊。
 苦心の果てに恋が叶って、その瞬間に呆気なく消えてしまう。アンデルセンの物語の一つだ。
 彼の言う恋とは、恐らくは夢を見る心の事だろう。
 キャスターの魔法。夢。希望。それを使えば、わたしは燃えて、消えて無くなる。ハートの塊なんて残らず、灰にすらも成れない。
 その事を、忠告していたように思う。

 でも。わたしは、“それ”が善いと思った。

 どうせ魔術師なんか、根源を手にしたら消えるのだ。本来であれば、人魚姫のように。
 だがアンデルセンは“すずの兵隊”だと言った。それは、結構じゃないか。燃え滓には、何も残らないわけじゃない。
 
 わたしは、マックスウェルの提唱する[[rb:希望 > それ]]を良いと思ったから─────何度だって、[[rb:魔法 > ゆめ]]に手を伸ばすのだろう。

 ▽
 光の道が続いていく。
 わたしはそこを歩く権利も、力も、足も残っていない。紙の踊り子のような、片足ですらない。
 ただ座って、月の終わりを眺めているだけだ。

「岸波さんなら…地上に帰ろうが、この月を支配しようが。どっちにしたって、明るい未来を作るんだろうね」

 奥から闇が迫っている。じきにわたしたちは片付けられて、無かったことになるのだろう。
 わたしはこれで満足だったけれど。彼という希望を抱き続けて、幸福だったけれど。
 この悪魔は最初から最後まで、わたしの我儘に付き合っていただけだ。

 彼を証明し切れない、半端者。有限の機関しか再現出来ない、ペテン師。ご自慢の科学すら、使わせる機会を与えられなかった。
 やはり、度し難いとでも思っていただろうか。

「さあ?どうでしょうか。
 私には、マスターがそれほどの可能性を見る理由が分かりません。過大評価ではないかと、常々思っていますよ」

 普段あれだけ当たり障りのない言葉ばかりを選んでいるのに、随分刺々しい言い方である。
 わたしは苦笑して、率直な疑問を返す。

「…前々から思ってたけど、キャスターは岸波さん達の評価低くない?」
 
「はあ。それはそうでしょう」

 マックスウェルの悪魔が、酷く呆れたような気がする。
 当たり前の前提を、コチラが理解していなかった時のような。そんな、“本気ですか?”と言わんばかりの空気を感じた。

「この月で、私が最善と定義したのは。他でもない、マスターなんですよ。
 同じ夢を見るならば、貴女が良いと。そう、結論付けたのですから」

 初耳である。いや、言われてみればそうなんだけれど。
 この聖杯マッチングシステム、恐らく“サーヴァント側がマスターを選んで召喚されている“からだ。
 触媒を持ち込めず、ガチンコで呼び出すしかない月の聖杯戦争。嘗てあったらしい地上の物と違って、召喚される側の意志だけが反映される。当然、中には誰でも良いという英雄も居るのだろうけど。
 つまりは、まあ。彼はマスターを選んで、此処に居るという話だった。

 ふーん。そっか。そうなんだあ。
 わたしは満面の笑顔で、消える足をさすった。悪魔の手を取って、肩を借りて、しっかりと残った方を地面に着ける。

 それで、最終結論はどうだった。
 わたしはその眼鏡に、叶うマスターだっただろうか?

 マックスウェルの悪魔は、相変わらず真っ黒のサングラスをしている。でも、それは真っ黒であって真っ暗なのではない。
 黒の中には、沢山の光が反射していた。そのひとつひとつが、彼の見る可能性なのだ。
 
 彼の瞳に一際強く輝くのは、この月の海のような、青白い色だ。わたしが差し出す指先も、白く、青く、煌々としている。

 わたしはそれを見て、考えを改める。愚問だったからだ。

「いいや、やっぱり。聞かなくても分かった」
 
 悪魔は微笑んでいる。
 それがきっと、何よりの証明だった。